#208 読了日記037 『丁家の人びと』

(2007/09/14)


 

 先週、社会部の後輩である女性記者から「近野さん、この本よかったら読んでみてください。歴史がお好きですからと思って」と渡された分厚い本。週末にページを開けるとあっという間に読み終えました。著者はこの女性記者のお母さん。篆刻の名家に生まれたひとりの中国人女性が半生を振り返った内容を「聞き書き」でまとめたもの。人生の無常についても考えさせられる1冊です。
 
・丁如霞・著、和多田進・聞き書き  『丁家の人びと』 (バジリコ)

 070914_丁家の人びと.jpg著者は高名な篆刻家、丁仁の孫。丁仁は、20世紀の初めに杭州に設立された「西冷印社」の設立メンバーである知識人であり、文人たちのリーダー格であった。その財を惜しげなく古今の書籍や篆刻の収集に注ぎ、その遺産は現在では貴重な文化財となっている。

 丁家は丁仁より前の世代から、いわゆる経済的にも安定した知識人の家系。歴史の波はその丁家の人びとに次々と襲いかかる。日本との戦争、国民党と共産党の激しい争い。戦争が終わり、共産党が中華人民共和国を成立させるに至り、一族の経済的な状況は零落の一途をたどる。

その後も寄せては返す試練。新体制への転換、文化大革命、天安門事件…。著者の一家は「裕福な知識層」という、共産主義においては「悪い出身成分」とされる。共産党政権下で富を剥がされてゆく一族。自らの思想や経歴を懸念して香港へ脱出する父。残る母親は貧しさのなか子どもたちを必死に育てていく。一族の中には辺境の地へ流される者も現れる。人生のすべてが為政者によって決められてしまう社会。後年著者が振り返ってただ一度きり抱いたという「夢」は、思いもかけぬ形で破れてしまう。そして半世紀、日本に渡った著者の人生は…。

 とにかく、一人の女性とその先祖を軸にした回想は、波瀾万丈。とりわけ、戦後に起きた波瀾は、私たち日本で一般的に体験するレベルとは桁違いであろう。もちろん、著者以上の艱難と奮闘を体験した人も多いであろうことも容易に伺える。民衆の視点からみた中国現代史。本書では著者の語りと交互に、時代背景の解説が引用・転載されていて、マクロとミクロが有機的に絡み合う構成は、読む者を引きつけてゆく。

「飛鴻雪泥を踏む」という言葉がある。空をゆく鴻が地上の雪に付ける足跡は程なく消えてしまう=ひとの人生はときが経てばかき消されてしまうような、はかないものだ、という意味だ。しかし波瀾の時代に雲散してしまいかねない著者の人生は、たしかにこの一冊に凝縮されたといえる。飛鴻の足跡もくっきりと次の世代や国境を越えてうけつがれるのだ。そう、丁家のルーツは篆刻家である。私の読後感は幾星霜を越えて我々が目にしている篆刻の刻銘のように、深く味わいのあるものとなった。


…ところで私にこの本をプレゼントしてくれた記者(私と一緒に写真におさまっています)は、誰もが認める俊英です。特ダネ、スクープ連発。私など足元にも及ばない優秀な記者として知られています。才気煥発であるのはもちろん、バイタリティあふれるチャーミングな人柄の持ち主。本書の終盤では彼女も登場し、利発な少女時代のエピソードが母の目を通して語られています。彼女の「いま」があるのにはお母様の影響というものも大きいのだなと感じ入りました。

投稿者 近野宏明