8月15日。終戦記念日です。世紀を跨いだこともあり、62年前と云いますと遠い昔のような錯覚をしがちですが、ついこのあいだ、とも言える歴史です。私が生まれたのが35年前の昭和47年ですから、その時点では「戦後27年」。そう考えると、ついこのあいだのことだなあと実感します。
我が家では幸いにして祖父母の代に遡っても、戦争で命を落とした者はありません。それでも毎年この時期になると、しみじみ戦争の無い世の中の有り難みを感じます。とりわけ母親はその思いが強く、広島・長崎の原爆忌、そして8月15日の終戦記念日、それぞれ節目の時刻に合わせて、自宅で黙祷をしていました。きょう15日なら正午ですね。きっと今年もそうしていることでしょう。沖縄の慰霊の日(6月23日)はどうだったか、私の記憶が定かではありませんが、私が沖縄に通って取材をするようになってからは、黙祷の日にきっと加わっているのではと思います。
そんな姿を小さい頃から見てきたうえ、父方母方ともに祖父が戦争に行ったことを聴かされていました。ひとつ歯車がかみ合わなかったらどうなっていたか。いまこの自分というのが実はたいへんな偶然によって在るのだなと思ったものです。命を的にして戦場に居るとか、貧しさやひもじさが横溢した「銃後」に過ごすといった当時の当事者の実体験もさることながら、つながっているはずの命が絶たれるということの残酷さにも怖ろしさを感じました。
日本という国は、遠くない過去に戦争の惨たらしさや痛ましさを嫌というほど知った国。多大な犠牲を払い、同時に多大な犠牲も強いた国であります。であるならば、地上から武力による戦いを無くすために各国の先頭に立ってしかるべき。しかし実際には…。嘆息せざるを得ない状況です。書生論という人もいるかもしれませんが、きょうこの日はとくに、日本という国が世界に先んじて何をすべきかを考えたいと思います。
投稿者 近野宏明