前回本欄で原稿を書いてから、3週間がたちます。この間、新潟中越沖地震、そして参院選と、大きな出来事が立て続けに起きて、更新が滞ってしまいました。1年3か月、週3回書き続けてきたコラムですが、一度途切れるとなかなか復帰できないこともわかりました。いずれにしても、読んでくださる方々にはご無沙汰しております。
7月16日、祝日の朝に出勤し、まさにこのコラムを書こうとしていたところで地震が発生しました。新潟で震度6強。まっさきに考えたのはやはり実家のことでした。とはいえ、いま放送している番組を中断して伝えねばならない規模の地震です。番組のプロデューサーに声をかけ、特番となったら番組進行を行う用意のあることを伝えました。その間にも、私の実家が新潟にあることを知っている方から心配するメールが。涙が出るほどありがたいことです。
結局私は現地にすぐ向かうことになり、ロッカーに常備している着替えなどを詰めたケースを転がして、取材チームとともにワゴン車に乗り込みました。テレビ・ラジオの音声、本社からのメールなどで情報収集をしながら新潟に近づきます。しかし高速を長岡で降りてからが大変。大動脈の国道8号線は寸断、迂回路の県道は渋滞。結局現地柏崎に入ったのは16時頃。放送直前のことでした。
途中、取材をしながら進んだのですが、その時点で被害の大きさを痛感することになります。刈羽村では越後線の線路が水平方向、上下方向の両方に激しくうねっています。家の前に停めた1BOXカーに避難している若い家族は「3年前の中越地震を教訓に、室内が広い1BOXにしたけど、まさかこんなに早く大きな地震に遭うとは」「怖くて家の中では眠れそうにない」と話していました。養鶏場がダメになってしまいそうだ、という年輩の男性は、「もう辞めるよ」と力無く笑います。あちこちで家が傾き、塀垣は倒れ、道路がねじれていました。ひとたび集落に入ると、先ほどまで見ていたのどかな田園風景もふきとんでしまうほどだったのです。しかし地震の被害はまだまだ底知れぬ大きさであることが、時間が経つにつれハッキリしてきたのです。
投稿者 近野宏明