#186  戦跡

(2007/06/18)


 

 週末から月曜日にかけて、沖縄に行って来ました。南風原町にある、旧日本軍の陸軍病院壕跡が、初めて一般公開されたのです。

 この壕をめぐる動きについては、私が入社1年目以来、ずっと沖縄取材をともにしてきたYカメラマンがウォッチし続けていました。3年前、戦争の実相を知る文化財として、町が公開を検討しているという情報が。さっそく、2人を中心に現地取材を開始しました。

 第二次大戦の末期、日本軍はアメリカ軍の上陸を前に、小高い丘の中腹におよそ30もの横穴を人力で掘りました。病院を移転させるためです。そこには看護婦不足を補うため、女学生も動員されました。「ひめゆり学徒隊」です。およそ病院とは言い難い劣悪な環境で、兵士は次々と命を落としていきます。結局、アメリカ軍の猛攻撃に晒されて、この病院壕も撤退を余儀なくされました。そして突然の「解散命令」。「あとは自分で何とか逃げのびよ」ということですが…。結局、「ひめゆり」の136人が、若い命を落としました。

 そういういわれのある壕。私は3年前に、当時77歳だった「ひめゆり」の生存者とともに、壕に入ってお話を聞きました。当時17歳の女の子が体験したこと。「想像もつかないでしょうねえ」というその話の内容は、柔らかな口振りとは対極でした。悲惨でむごたらしく、怒りと恐怖に満ち、やりきれなさが残る体験談でした。

 できれば忘れてしまいたい記憶を、60年余りにわたり語り継いできた生存者たち。しかし残念ながら、その数も年を追う毎に減ってしまいます。町が壕を整備して公開することで、その壕自体を「語り部」とすることを考えたのには、そんな理由もありました。何とか現状に近い形で、もちろん観光地とはしない形で。戦争と平和を学ぶ場としての整備です。その思いが結実するまでには、相当のご苦労がありました。

投稿者 近野宏明