#181 読了日記033 『舌つづみ各駅停車』

(2007/06/06)


 

 前回に続いて食べ物に関するエッセイを。日本テレビの「遠くへいきたい」など数々の旅番組、料理番組で全国津々浦々を食べ歩いた俳優、渡辺文雄さんの舌と筆が冴えわたる一冊です。

・渡辺文雄 『舌つづみ各駅停車』(グルメ文庫・角川春樹事務所)
 
070605_「舌つづみ各駅停車」.jpg仕事や旅行で知らないところへ行く。ちょっとした取材で都内を動く。我ながらつくづく思うのは「食事には、その状況・その場所でのベストを尽くしたい」ということ。とりわけ仕事では、なおざりにされがち。けれど、コンビニのパンよりはほか弁、立ち食い蕎麦よりは駅前食堂、万一可能ならその土地の名物を…そんなふうに少しでも食事らしい食事を摂りたいのである。行き当たりバッタリでも、その状況でできるだけベターな選択をしたい。常にそう思う私にとって、著者はその道を究めた人物のひとりではないかと見ている。

 事実、まえがきにて「日夜念をかけたのは旅と食べることである。ふらふらと旅をして、出来るだけ様々な食べ物に出会えますように。」と述べている。しかし勘違いしてはいけない。著者の食の心髄は、その土地、その時季のものを、出来るだけよそ行きでないかたちで食べること。決してべらぼうに高いモノや高級なモノではないのがポイントだ。

 だから、必然的に農業・漁業など生産の現場に近づくことになり、食を支える最前線への敬意はひときわ大きいものになる。「育てられた米には作られた米がどう頑張っても満たすことのできない大きな違いがあると思った」(下線近野)という感慨は、生産の現場を誠実に見ない限り言えないこと。その真摯な姿勢はときに、誤解とわがままに満ちた都会の消費者への痛烈な批判に転化する。キュウリひとつとっても、曲がったものを嫌ってまっすぐにし、完熟の証しである表面の白い粉(ブルーム)を排除し、ポツポツとした表面のとげを取り去って、似て非なるものを作り出した都会人のニーズに、著者はこう怒りをぶつけている。「ものを作る人間のプライドを踏みにじる消費者の傲慢さと、食物の本体であるいのちがまるで見えていない横着な愚鈍さが我慢出来ないのである」と。

 道を究めると、ことの本質が見えてくる。こういう著者の境地を知ると、「少しでもまともな食事らしいものを」という私のこだわりなど、それこそ似て非なるもの。ああ、きわめて些末で区々たる問題なのだ…と恥じ入るほか無くなるのである。

投稿者 近野宏明