きょうは「書くことの難しさ」をささやかに省みることになった一冊をご紹介します。
・伊藤たかみ 『八月の路上に捨てる』 (文藝春秋)
離婚経験を持つ男勝りの女性トラックドライバー、その相棒の男性アルバイト。「青年」期を過ぎた2人が、東京でもディープな地域を走り回る。汗にまみれた会話と生動。ぎこちなさも感じるのに根っこでは気の合うようなふたり。それぞれの過去が語られていく。そして…。友情というか、同士感覚というか、微妙な心象が読むほどにきっちり伝わってくる。壮大なテーマや見通せないほどの深みがあるわけではない。むしろどこにでも有りそうな話、という感覚を与えがち。そのせいか、芥川賞を受賞したにもかかわらず、選評をよむとストレートに押している選考委員があまりいない。
こういう小説、読むと書いてみたいと思うひとも多いハズ(私もそう思うひとり。あー恥ずかし)。だけどいざ書こうとすると、うまくいかないもの。プロットが先行して科白が上滑りしてしまう。あるいは逆に、微細な会話に力が入りすぎて、浮き立ってしまったり、全体が成立しなかったり。実際に著そうとすると難しいのだろうなあと思う。
その難しさが容易に想像つきつつ、もうひとつの収録作『貝から見る風景』を読む。こちらにもそんなシーンがある。主人公・敦が同棲相手の鮎子を相手に、なぞのスナック菓子「ふう太郎スナック」の話をするくだり。さんざんその話で盛り上がって、鮎子は「もう寝なきゃ」と目覚まし時計をかける。「ふう太郎のふの字でも口にしたらひどいよ」と明言して。しかし敦はどうするかというと、「我慢できずに『ヒ』と声を出した。鮎子は怒って、自分が寝るまでハ行の言葉を言うのは全部禁止だ」と布団を蹴る。
こういう(一見)ちょっとした(ことのようにみえる)描写。私にはけっこうぐっと来るのです。「あー日常だ」と。激しく劇的でもない、大上段でない、日常を丹念に描くってむずかしい。だけどそれがハマると、読む者には強い印象を残す。
…そんな文章、138回に及ぶ「リアルコンノ」で一度でも書けているでしょうか。如月最終日、自問する私です。
投稿者 近野宏明