歌舞伎が好きな私であります。しかし、4時間~5時間にも及ぶ客席での時間を、100%全力で鑑賞しているかといえば、そうでもありません。やっぱり緩急、と言いましょうか、見る側にもありますよね。通常、歌舞伎の公演では3つないし4つの演目が上演されますが、だいたい1つは「舞踊」です。この、舞踊で気持ちよくなってウトウトすることがよくあります。眠っちゃ失礼だと思いつつ。でも、以前にある役者さんが言っていた、「眠くなったら寝てもいいんです」と話していましたので、それを錦の御旗とばかりの行動(狼藉か)であります。
この週末も歌舞伎座で新春歌舞伎を見てきました。4つの演目のうち、2つが舞踊でした。とりわけ3つめの「春興鏡獅子」はおよそ1時間に及ぶもの。普段の私なら、最初の15分ほどでいい心持ちになって、夢の世界に旅立つ可能性が高いところ。しかし、この演目は中村勘三郎丈が演じます。一月の夜の部本公演で、勘三郎が登場するのはこれだけ。自ずと客席も緊張と期待が昂進します。で、実際に勘三郎が舞台へ現れると、もう寝ちゃいられなくなるのです。
鑑賞眼を持っている、あるいは舞踊の経験がある人には、一つ一つの所作にも意味を見いだせます。私は生憎その域に達していませんので、その都度真っ新(まっさら)な見方しかできません。でもやはり名人の本物は伝わってきます。もちろん名人・名跡は勘三郎丈だけではなく、あらゆる役者さんも同様です。しかし私の感性に訴えかける強さは勘三郎丈にはかなわないなあと、改めて思うのです。でも幕が引かれて会場にざわめきが戻ると、観客はみんな同じような表情。一種の恍惚感を覚えているようです。何のことはない、別に私にフィットしているのではなく、遍くどの観客にもインパクトを与えているわけですね。それがつまり、「本物」の本物たる所以なのでしょう。
投稿者 近野宏明