月曜日(1月8日)の本欄で、「夢」とともに生きる後半生について書きました。その後ひとつ思い出したことが。
私が大学生のころ。日本史のクラスには年の離れた同級生がいました。Mさんという方です。当時すでに70代も半ばだったように思います。我々の祖父の世代にあたります。年齢相応の小柄な体格、でもいつもきちんとした姿勢で授業に臨んでいたことが強く印象に残っています。なぜ覚えているかといえば、Mさんはつねに教壇近くの最前列に座っていたから。耳が少々遠くなっていたようで、初めてお目にかかった時、すでに補聴器を使用していました。
50以上の年の差を超えて会話をするようになり、どんな人生を歩んでこられたかを知ります。たしか1940年に早稲田を卒業後、財閥系の企業に入社し定年まで勤めあげたと記憶しています。当然、悠々自適の生活だったのでしょう。しかし勉学に励む気持ちは褪せること無し。古稀をこえて大学の門を再び叩き、聴講生となったようでした。日本の高度成長を支えた世代です。企業戦士だったはずですが、そんなとげとげしさはまるで有りません。穏やかなお人柄とリベラルなお考えの持ち主だとすぐわかりました。
私たちのクラスは近現代史の専攻でしたから、Mさんの少年期・青年期もその時期に含まれます。あるとき、うっすらと黄ばんだ1枚の紙をMさんが教室に持参しました。終戦間際にアメリカ軍が撒いた宣伝ビラです。Mさんがそれを拾ったのは、終戦間際の出勤途中、東京・丸の内でのことでした。菊の御紋の下に日本語の呼びかけ。つまりは、日本に勝ち目はない、もはや降伏して新しい社会をつくるべきだ…という内容。想像したよりも穏健な文体でした。軍需にも深く関わる仕事先ゆえ、戦況悪化はある程度覚悟の上、しかし上空を舞う飛行機とそのビラに、Mさんは敗戦を確信したそうです。
私はMさんと年賀状のやりとりを続けていました。しかしある年届いた年賀状には、「文字をしたためるのが困難になってきました」としたためてありました。書状のやりとりはこれで失礼したいという申し出。いつも穏やかで控えめな人柄は、そんなところにも現れていました。ご健在なら90歳近くになっておられるはずですが…。
学ぶことに終わりはないと、Mさんは我々に黙って示していました。Mさんは必要以上に強調されませんでしたが、青春時代を、あるいは若き日の夢を、戦争によって妨げられた、それを取り戻す老境だったのかもしれません。最前列で熱心に講義に耳を傾けていたのは、耳が遠くなったからという理由だけではない。いまになってMさんの真っ直ぐな背中を思い出し、その心中を察しています。
投稿者 近野宏明