本日第1の疑問。人はなぜ、富士山を見るとご機嫌になるのでしょうか。このあいだも書きましたが。先日来の疑問であります。いま隣席の小西キャスターに聞いたら、やっぱり「特別な気分」になるそうです。「生で見るのは滅多にないし、清々しい気分になるよね」とのこと。私も全くの同様でして。…けさも汐留の高層階からは富士の稜線がくっきり見えました。このところ天気が今ひとつの日が多かった東京。久々に冬らしい空からの贈り物です。一枚目がその写真。タワーの右後ろに・・・。
もっとも、朝10時近くになってこれだけ見えると言うことは、時間がもっと早ければなお美しいはず。実際、エレベーターで乗り合わせた『ズームイン!SUPER』のスタッフはそう証言していました。朝早くに年末用のリハーサルでヘリを飛ばしたそうで、その映像は「絶景」だったそうです。まさに「早起きは三文の得」。「朝」が夜明けのグラデーションから抜け出してきたばかりの頃はさぞや良い富士でしょう。年末の『ズーム』本番がスキッと晴れるのを期待しましょう。
きのうの富士山もお目に掛けましょう。これは静岡側から見たようす。まさに富士山。手前に見える「第2東名」らしき高架橋が興ざめと言えば興ざめですが。それを抜きにしても、おトクな気持ちに包まれました。
しかし、心晴れやかに、すーっとした気分になるのが「たまに」だから良いのでしょうか。第2の疑問は、「毎日富士を仰ぎ見て暮らす」とはどんなものかということです。この写真にみえる、裾野のあたりの暮らしですよ。何らかの統計ってあるんでしょうかね。「富士山を年間**回(あるいは**時間)以上見ている人はそれ以外の人と比べて…」なんていう統計が。きっと有意な差があると思うんですが、どうでしょう。「危機に悠然としている」「堂々としている」「他人の失敗に寛容」なんていう度合いはきっと高いはず。
私は大学生のころ、長期の休み毎に山梨・山中湖でアルバイトをしていました。毎日ではありませんが、視界いっぱいに富士山が見えた日々。しかし上記のような性格が形成されるには程遠かった。三つ子の魂は強固なり。せめてたまに見るときには心穏やかに見つめたいと思っております。
投稿者 近野宏明