カフカ賞受賞、いよいよ次はノーベル文学賞?と話題の村上春樹です。書き下ろし1篇を加えた5つの短編をおさめた小説集。新刊が出るたびに買ってきた私ですが、今回は会社の資料室から借りました。通勤の電車で読むのに丁度よいサイズの「奇譚」はどんな物語か…。
・村上春樹 『東京奇譚集』 (新潮社)
結論から言うと、私にとって最も強い印象を残したのは1編目の『偶然の旅人』。冒頭、著者自身がアメリカ生活で経験した「不思議な出来事を手短に語って」、そののち本題に入る。著者の知人(ピアノの調律師)が個人的に語ってくれた物語、と前置きを付言したうえで。
主人公は、毎週読書をするために訪れるカフェで、自分と全く同じ本を読んでいる女性に出会う。偶然に導かれた女性との出会いが、長年彼のこころに蟠(わだかま)っていた確執に、和解のようなものをもたらす…。5篇のなかで最も現実にありうる話であって、「奇譚」の要素は薄い。
それだけに、読者の日常に最も重ね合わせるレンジが広いと思う。私自身、ちょっとした偶然に導かれて、思いがけず豊かな気持ちで一日を終えることがある。たまたま鉢合わせたひとと、たまたま出かけた店で、たまたま話したコトが、たまたま好きなモノが…。そんな偶然が重なって、楽しくあたたかい時間を持てるなら、人生のパレットが美しい色彩を増していくことは疑いない。偶然のもたらす幸せは、必然がもたらすそれよりも貴重で得難いもの。もっと長いスパンで見ると、自分の歩んできたささやかな道のりだって、偶然という要素抜きには成り立たない。偶然の積み重ねで今の自分がいる。本作のタイトル通り、我々は「偶然の旅人」かもしれないなと読後に考えた。
最後の『品川猿』は書き下ろし。好き嫌いがハッキリしそう。面白く読んだけれども、好きな系統かと問われれば、否である。『偶然の旅人』と裏返しの理由からである。どうも私は、幻想的世界やシュールレアリスムの方面には没入できない性分のようで。でも、村上春樹の手になる、現実と非現実の境界上という感じは、はまっちゃう読者が多いコトもよく理解できる。
と、いうわけで、読了。我が家の本棚はもうメタボリック症候群のように内側から飽和しています。二重、三重に本を並べてそれでもこぼれ始めて…。サイズの小さい文庫本になったら買いそうです。
投稿者 近野宏明