#88 読了日記017 『散歩のとき何か食べたくなって』

(2006/10/30)


 

 誰でもお気に入りの店というのはあるものです。とりわけ、都市での生活では「街あるき」と「食べもの」は切っても切れないセット。私自身は、お酒がそれほど得意ではないので、飲み歩きよりも食べ歩き派。でも街やお店をさらっと楽しめる洒脱なおとなになるのは、簡単にできそうでできないものです。そんな食と粋が満載の一冊です。

・池波正太郎 『散歩のとき何か食べたくなって』 新潮文庫

 まず何と言ってもタイトルがいい。きょうのお昼は○×で△□を食べよう!と意気込んで、どんなお店か思い描きながら行くのも楽しみ(実際そのお店の味や趣や客あしらいが良いと、さらに嬉しい♪)。それと同じぐらい、素敵な街を楽しみながら歩いて歩いて、ふと空腹に気付く。そのとき思い立って「そうだ、夕食はあの店にしよう」と入る。食べるとやっぱり期待を裏切らない。笑顔で連れと美味しさを確認しあう。これも愉楽。そういう店をいくつも持っているのは都市生活ならではの幸福である。

 東京・浅草に生まれ育った生粋の「街っ子」である池波は、そんな街あるきの達人。その彼が愛する店と街、そこにまつわる思い出や史実がたくさん詰まっている。本来ならば『鬼平犯科帳』『剣客商売』といった、池波の手になる傑作時代小説のシリーズを先に読んでおくべきなのだろう。しかし、私は一冊も読んでいない。けれども、池波が感じるお店のもつパッションや店の主の矜持、といった記述からは、古くて良きものや、新しいけれども古き良さを持ち合わせているものをどれだけ評価しているかは十分うかがえる。その評価の基準はきっと、池波時代小説に通底する「粋」と重なり合うのだろう、と勝手に解釈している。

 本書が最初に出版されたのは1977年。もう30年近く前のことだ。紹介されている店の中には、私もよく行くところがある。東京・目黒のとんかつ屋さんはその一つ。報道フロアの「お肉大好きチーム」で連れだって、会社帰りに寄り道するのだ。池波はこう書いている。「(この店で)食べて、勘定をはらって、心身に満足と愉快をおぼえぬ客は、先ずあるまい」「みがきぬいた清潔な店内。皿の上でタップ・ダンスを踊りそうに、生きがよいカツレツ」「溌剌と立ちはたらくサーヴィス」。30年近くが経った今もまったくその通り。もっとも、「転変ただならぬ戦後の約三十年間を、誠実な商売でつらぬき通してきて、それが、むかしもいまも客層の圧倒的な支持を得ている(…後略)」と池波も記しているから、都合60年もの伝統、なのだ。こうして書いていても食べたくなってくる…。

 粋と美味は、必ずしも法外な対価を求められるわけではない。そのときどきの自分の懐に合った、ささやかな食の楽しみや、素敵なお店で気の合うひとと過ごすひとときは、間違いなく人生に美しく豊かな彩りを与えてくれる。本書はその後の「グルメブーム」で世に氾濫したいわゆる「お店紹介」ではない。お店を選び、その味を愛する基準をそれとなく教えてくれる良質の手引きである。

投稿者 近野宏明