#88 読了日記017 『散歩のとき何か食べたくなって』

(2006/10/30)


 

 誰でもお気に入りの店というのはあるものです。とりわけ、都市での生活では「街あるき」と「食べもの」は切っても切れないセット。私自身は、お酒がそれほど得意ではないので、飲み歩きよりも食べ歩き派。でも街やお店をさらっと楽しめる洒脱なおとなになるのは、簡単にできそうでできないものです。そんな食と粋が満載の一冊です。

・池波正太郎 『散歩のとき何か食べたくなって』 新潮文庫

 まず何と言ってもタイトルがいい。きょうのお昼は○×で△□を食べよう!と意気込んで、どんなお店か思い描きながら行くのも楽しみ(実際そのお店の味や趣や客あしらいが良いと、さらに嬉しい♪)。それと同じぐらい、素敵な街を楽しみながら歩いて歩いて、ふと空腹に気付く。そのとき思い立って「そうだ、夕食はあの店にしよう」と入る。食べるとやっぱり期待を裏切らない。笑顔で連れと美味しさを確認しあう。これも愉楽。そういう店をいくつも持っているのは都市生活ならではの幸福である。

 東京・浅草に生まれ育った生粋の「街っ子」である池波は、そんな街あるきの達人。その彼が愛する店と街、そこにまつわる思い出や史実がたくさん詰まっている。本来ならば『鬼平犯科帳』『剣客商売』といった、池波の手になる傑作時代小説のシリーズを先に読んでおくべきなのだろう。しかし、私は一冊も読んでいない。けれども、池波が感じるお店のもつパッションや店の主の矜持、といった記述からは、古くて良きものや、新しいけれども古き良さを持ち合わせているものをどれだけ評価しているかは十分うかがえる。その評価の基準はきっと、池波時代小説に通底する「粋」と重なり合うのだろう、と勝手に解釈している。

 本書が最初に出版されたのは1977年。もう30年近く前のことだ。紹介されている店の中には、私もよく行くところがある。東京・目黒のとんかつ屋さんはその一つ。報道フロアの「お肉大好きチーム」で連れだって、会社帰りに寄り道するのだ。池波はこう書いている。「(この店で)食べて、勘定をはらって、心身に満足と愉快をおぼえぬ客は、先ずあるまい」「みがきぬいた清潔な店内。皿の上でタップ・ダンスを踊りそうに、生きがよいカツレツ」「溌剌と立ちはたらくサーヴィス」。30年近くが経った今もまったくその通り。もっとも、「転変ただならぬ戦後の約三十年間を、誠実な商売でつらぬき通してきて、それが、むかしもいまも客層の圧倒的な支持を得ている(…後略)」と池波も記しているから、都合60年もの伝統、なのだ。こうして書いていても食べたくなってくる…。

 粋と美味は、必ずしも法外な対価を求められるわけではない。そのときどきの自分の懐に合った、ささやかな食の楽しみや、素敵なお店で気の合うひとと過ごすひとときは、間違いなく人生に美しく豊かな彩りを与えてくれる。本書はその後の「グルメブーム」で世に氾濫したいわゆる「お店紹介」ではない。お店を選び、その味を愛する基準をそれとなく教えてくれる良質の手引きである。

投稿者 近野宏明


#87  口ひとつ

(2006/10/27)


 

 寄席に行って来ました。3か月ぶりぐらいでしょうか。以前から落語は好きで、文字に起こした全集本を寝る前に読んだり、テレビの演芸番組を録画して週末に見たりと、親しんできました。

落語という芸の凄さは、口ひとつで客の心をつかむこと。練りに練られた噺(はなし)が江戸時代から綿々と受け継がれてきたわけですが、噺のストーリーがもつ力だけではダメ。やっぱり噺家さんの表現力やアレンジメントがあっての落語、なんですね。何度も寄席に行くと、お馴染みの演目は演者を変えて何度も耳にすることになります。しかし同じ噺でも、全然面白みが違ってくることは結構あります。そう感じさせる要素は何か。演じる噺家の声や所作、間合いや勢い、そしてやっぱり重要なのが観客と醸し出す場の空気、でしょう。寄席はライブです。口ひとつでの芸術を受け止める側は日々変わるわけで、ゆえに一度として同じパフォーマンスにはならないのですね。

これは私たちの仕事とまったく同じです。日々同じように同じ時刻に画面に現れますが、ご覧になる視聴者は一日として同じではありません。もちろん落語と違って伝える内容も一度として同じものはないのですが、伝える側の心持ちとしては同じではないかと思っています。とりわけ、「ライブの醍醐味」をどこまで伝えることができるか、この点は一緒ではないかと。たとえばただ原稿を読むだけではない、スタジオでのコメンテーターを交えたやりとり、現地から自分で見聞きしたことを伝えるリポートなどなど。ときにギミックだと批判されても、より本質が伝わるための工夫はどうすべきか、そんなことも根っこは一緒。だからこそ私は、楽しみつつ伝え手としての勉強にもなる寄席が好きなんです。

 それにしても寄席の客層は中高年、高齢者が多いです。噺家さんも本題に入る前にお客さんを見回して揶揄することがよくあります。「ニッポンは日々高齢化が進んでおります。あたしなんざこうして毎日実感しております」「きょうはお忙しいのに老若男女お運びを頂いて…『若』の皆さんはホントにお忙しいんでしょう。ここに居ませんもの」…私なんかお客さん全体の中では完全に若手の部類です。ほんとに面白いんですけどねえ。未体験の方は是非足をお運び下さい。

投稿者 近野宏明


#86  結露の季節

(2006/10/25)


 

すっかり秋が深まってきました。きのうの東京は最高気温が14.9度。1か月も先の気温が突然訪れて、外を歩く人はみな、首をすくめて歩いていました。私もスーツの上にコートを羽織って出動。しかし風もきわめて強かったので、冷たい風が入り込んできて往生しました。秋の風にもいろいろあるようで、辞書をみると、金風 素風 蓼風 盲風 昌風…と由来も意味も初めて知る風が紙幅一杯に吹いています。

 先だって、まとまった雨が降ってひんやりした朝。電車に乗ろうとホームに立っていると、滑り込んできた電車の窓は一面の結露。びっしり曇っています。電車通学の小学生が小さい手をペタペタと押しつけて、ドアの窓に手形を付けていました。季節は確実に寒い方へ寒い方へと進んでいます。困りますねえ。

私たち記者の仕事の中には、俗に言う「張り込み」もあります。とりわけ事件記者は、ターゲットの動向を見たり、出勤や帰宅を狙って直撃したりと、その機会が多いのです。しかし、東京の気候というのはじつに張り込みに不向き。暑くなる前、5月頃の爽やかな晴天の日や、9月の雨上がりの日がさす頃ぐらいしか、丁度良い塩梅にならないのです。夏の暑さが去って、10月前半ぐらいまでの一瞬は、「こんな日なら一日外に居ても悪くないか」と自分を慰めることができますが、もう今時分になるとそんな悠長な気持ちは絶対に無理。これからは日々、足元に忍び寄る冷気との戦いになります。

車の中で待機している場合も同様。エンジンを切って(すなわち暖房もオフで)、じっとターゲットの出入り口を見つめていると、そのうち内外の気温差で、車のガラスが結露します。同行のカメラクルーと雑談しながらも、視線の先は一点集中。手形をペタペタ押しつけている場合じゃありませんからね…。そんな労苦の果て、ようやくキーパーソンの取材に成功!寒さを忘れるのはそのときぐらいでしょう。

ことしの寒さはいかばかりか…?

投稿者 近野宏明


#85 「震度7」から2年

(2006/10/23)


 

 新潟中越地震からきょうで2年です。亡くなった方たちを改めて悼むとともに、これから3度目の冬を迎えようとする被災地の皆さんに、お見舞いを申し上げます。きょうはあの日の報道フロアがどんな様子だったか振り返ります。

 当時「真相報道バンキシャ!」に所属していた私は、翌日曜日の放送準備などで、報道フロアに居ました。地震の一報が気象庁からもたらされたのは、夕方6時のニュースの直前。震度6強・弱(のち震度7が観測されていたことが判明)の揺れに、東京の報道フロアも騒然としました。少し遅れてゆらゆらとした地震波が日本テレビにも届き、大地震が現実のものだということを思い知らされました。

 土曜日の限られた人員でニュースのバックアップをしているうちに、あっという間に30分が経ちました。続いて6時半からの番組を休止して、特番に差し替え。私は3分ほど前にその特番のMCを指名されました。慌てて後輩のネクタイを借りて締めると、無精ひげもそのままに放送に突入です。その間にも余震が現地を襲います。新潟のスタジオとつないでの放送中にも激しい揺れ(最大震度6強)が。テレビ新潟の田島アナウンサーはきわめて落ち着いて放送を続けます。取り乱しても不思議ではない揺れのはずですが、伝え手として脱帽するしかない対応でした。

 それから、途切れることのない放送が始まりました。私は新潟に取材に出ることは無く、東京のスタジオで、次々と送信されてくる未曽有の災害のようすに、人間の無力を感じていました。日本は常に地震に襲われる宿命にあります。「絶対ここは安心」とは言い切れない、その怖さを痛感したのが「地震の空白域」で起きた新潟県中越地震だったのです。当然、このときの放送にも多くの反省点がありました。だからこそ、私たちは次にどこを襲うか分からない地震に備え、日々準備や訓練を行っています。万一の事態が起きたときに、100%の放送に少しでも近いものを送り出せるように、という思いからです。

 きょうは夕方に「日テレNEWS24」で特別番組が放送されます。今なお多数の方たちが暮らしている仮設住宅、旧山古志村に戻ったご夫婦の住まいなどと中継を結んでの放送です。とっくに復旧・復興したかとお考えの方も少なくないと思いますが、現実はまだまだ厳しいようです。きょうの放送は、被災地がいまなお抱える問題や、多大な犠牲から得られた防災上の教訓なども交えてお伝えします。わたしも「リアルタイム」の放送後に録画で見ようと思っています。皆さんもぜひ、こういう日を機会にご自身の防災対策を見直してください。

投稿者 近野宏明


#84  社会科見学

(2006/10/20)


 

 秋は遠足や修学旅行、それに社会科見学のシーズンです。このところ、朝電車に乗ると手作りの「旅のしおり」を手にした中学生や高校生がグループで乗ってくるのに遭遇します。一目でわかる「しおり」などを持っていなくても、遠方からの生徒かな、というのは髪の毛の色や制服の着こなし方で何となく分かります。

 通勤の時間帯ですから、基本的に一般の乗客はむっつり不機嫌にしているのが常です。しかしそういう中高生が乗り込むと、雰囲気は一変。車内は賑やかになります。限度を超えるときもまぁありますが、咎めるのも気が引けるのでしょうか、乗客は大目に見ています。ターミナルに着くと、引率の先生がホームやコンコースの広いところで「集まれ」の指示。ラッシュの人混みの中ではたいへんだなあと頭が下がります。誰もが己を振り返れば思い当たる通り、中高生ともなるとだいたいその手の集団行動・とくに学年全体での行動では、簡単には規律正しく動かないものですから。きっと学年全員で見学したところより、グループ単位でドキドキしながら出かけた先のほうが強い印象を残すのでしょう。

 これが小学生だとだいぶ話は違います。先日乗りあわせた社会科見学の小学生も、非常に整然と、おとなしく動いていました。あまり行儀良すぎるのもちょっと子どもらしからぬ感じがしてこわいのですが、よく見ると、中にはちょろちょろしている子も見受けられます。先生に見つかる前に友達にたしなめられているのもご愛嬌です。その子たちは近くの公的施設の見学にでかけるようでしたが、まっさらな白い紙のように、見たもの聞いたことをぐんぐん吸収しそうな感じがしました。

 実は私も、先日久々に「社会科見学」のようなことをしてきました。といってもロケなんですが。ありそうで意外にない、歩いていけるところでの取材です。どこで何を見るのかまったく予備知識も与えられずに、突然にリポーターさんとともに出かけたのです。一つ一つの発見に目をキラキラさせる小学生ほどではないと思いますが、自分の職場のすぐそばにも、知らないことがあるのだなあ、と感じましたよ。学区内の工場や施設の中をクラスで初めて見たような、自慢げな気持ちで報道フロアに戻ってきました。この様子はいずれリアルタイムで放送されると思います。たぶん「素」のリアクションで口をあんぐり開けている私がオンエアされることでしょう。

投稿者 近野宏明


#83  焼き栗

(2006/10/18)


 

 知りませんでした。あんなに美味しいものだとは。先日デパートに出かけたところ、食料品売り場に小さな行列が。その先頭には「焼き栗」の文字。秋の味覚です。が、私は余り食べたことがありません。そして頭の中に記憶の糸がふわりと垂れ下がってきました。その糸を手繰ると…「誰かが『栗には目がない』って言ってたなあ…」そう、思い出したのは小西美穂キャスターの夢見るような表情です。焼き栗が大好きなんだそうで、東京で旨い焼き栗が買えるところを探している、と話していました。私はさっそくその列に加わりました。

 少し待って、栗がごろごろと入ったケースの前にたどり着くと、何ともいえない芳香が。その香りからしても並みの栗ではないことがうかがえます。無農薬で育てた大粒の栗は皮を押し出さんばかりにぎゅうぎゅう詰め。試食の上小袋を3つ購入。帰宅して早速つまんでみました。手に取ると、駅前や縁日で売っている甘栗の3粒ぶんぐらいの大きさがあります。

 2つに割って、実をぐいっとつまみ出して頬張る。うまい。実にうまい。自然な甘みが程良い水分に溶けて、口の中で広がります。取り出し切れなかった部分をスプーンで掬い取る。それだけで「小さく2口ぶん」はあります。一粒あたりの値段と考えると決して安くはありませんが、美味しく食べる実量としては相当なバリューがあるわけです。ずばり「当たり」の買い物です。

 そこで、「栗大好き娘」の小西さんにも1袋お裾分け。あとで聞いたところ、一気にほぼ全量を食べたそうです。やっぱりね…。持っていった甲斐があるというものです。お返しに洋梨を頂戴しました。鼻に近づけると皮ごしに甘美な香りが伝わってきます。これは美味しい予感。さらに帰りにはみかんも購入。まだ青みがかって、皮と中身のあいだが密着しているような走りのものですが。スーパーでも店頭にどっさり山積みされています。さすがにみかんはいくぶん早い気がしますが、秋は果物が美味しい季節。楽しみはまだまだつづきます。

投稿者 近野宏明


#82 終わりのない痛み

(2006/10/16)


 

 539日間。尼崎での脱線衝突事故からそれだけの日が経ちました。きのう、大阪に住むひとりの女性が亡くなりました。事故で亡くなった芦原直樹さんと10年以上交際し、結婚を約束していた女性。彼女の人生は事故によって取り返しのつかないダメージを負わされてしまいました。そして、マンションから飛び降り自殺したのです。539日経っての「後追い」でした。

 事故直後から現場で取材をしていた私は、発生から6日が経った去年5月1日、この女性に遭遇しました。昼すぎから降り始めた雨。付き添いの女性にもたれるようにして、泣きじゃくりながら現場の献花台に現れました。文字通りの「号泣」。誰憚ることなく、というより、憚る余力もとっくに尽きていたのでしょう。献花台からは「大好き」という声が聞こえてます。顔を伏せて、背を震わせる彼女の様子は、本当に痛々しいものでした。

 車に乗ろうと戻る道も、彼女は付き添いの方にすがりつくように、体を斜めにして歩いています。悲しみに暮れるひとにマイクを向けるのはいつも本当に心苦しいのですが、彼女の痛みを伝えなければと思い、いくつか質問をしました。そして「JRにはどんなことを言いたいですか」と訊ねたとき。彼女は「直ちゃんを返して…直ちゃんを返して…」と云ったきり、あとは言葉になりませんでした。突き刺さるような叫び。悲しみと怒りを全身に籠めている女性の姿に、私はこれ以上の取材はできないと思い、寄り添って歩くのをやめたのです。この事故の取材で、このときほどのショックを覚えたことはありませんでした。

 事故をおこした列車に、芦原さんは夜勤を終え伊丹駅から乗車したとみられています。女性は自宅で、愛する人を待っていました。しかし待っても待っても芦原さんは帰りませんでした。事故の後、女性は芦原さんの実家に通い、芦原さんの好きだったお菓子を供え、霊前で話しかけていたそうです。
 
 当時、芦原さんの母親は私のインタビューにこう答えています。「(彼女は、芦原さんの)写真を見てほとんど泣いている。若いのだから、次のこと考えて、忘れて…といっても忘れられないと思いますけど、幸せになって欲しい」と。新しい一歩を踏み出してもらいたいと願う母親の気持ちも、痛いほど伝わってきました。その取材をまとめたとき、こんなナレーションが吹き込まれました。「婚約者の女性が立ち直り、新しい生活にふみ出すにはどのくらいの月日がかかるのでしょうか…」

 女性が残したメモには「私のあるべき明日を返して」と綴られていました。結局自らの命を絶つことを選んだ女性の気持ち。539日間、どんな思いで彼女が過ごしていたのか。それを考えると言葉もありません。こうして書いていても、あの日、声を振り絞っていた女性の様子がはっきりと思いだされます。自分たちの仕事の無力を痛感するほかありません。考えると頭のなかがいっぱいです。
 事故による死者は107人。遺族らは自殺した女性を「108人目の犠牲者だ」と訴えています。どの遺族や関係者も、それぞれに終わらない痛みを抱えてきょうも暮らしているはずです。

投稿者 近野宏明


#81  夢の終着駅

(2006/10/13)


 

先日、山本真純キャスターから強烈な話を聞きました。「夢」のことです。夢の中で何かに追われて「腰を抜かす」話、謎の部族に囲まれて火あぶり寸前という話、夢か現(うつつ)かは判然としないものの、これまで50回はあったという金縛りに遭った話…などなど、夜毎こころが何かに追いつめられているのではないかという感じは否めません。というか、追いつめられていると断言します。ストレスの原因の一端が共演者にはないことを祈るばかりです。

 一方で、空を飛ぶ夢も見るそうです。きっかけは、夢の中でスキー場に行ったときのこと。長時間リフト待ちをしていると、一緒に行ったお母さんが「飛んじゃえばいいじゃない」と言うや、両手を体の左右でひらひらと仰ぎ→ふわりと空中へ→あっというまに山頂到着。真純さんもそれに倣うと、飛べたというんです。そのときもその後も、お母さんほど巧く飛べないのは変わらないそうです。

空を飛ぶ夢は私もかつてよく見ました。私は手足とも「平泳ぎ式」の飛行を得意としていて、実に優雅に空を舞ったものです。しかし最近あまり見ないのは、どういう理由なんでしょう。真純さんも頻度は下がっているようです。年齢との相関でしょうか。

さて、同じ夢でも現実の夢。ネットを使って夢のあるコンテンツを配信している「第2日テレ」がまたまたすごい展開をします。日本テレビの映像ライブラリーから厳選された映像を紹介し、映像の時間旅行を楽しめる「タイムマシーン屋」というコンテンツで、あす10月14日の鉄道記念日に合わせて、一気に100本近い鉄道関連の映像をアップ。「○×記念列車」「さよなら△□線」のようなイベントものは勿論、市販のDVDなどには絶対収録されない(であろう)、渋い車両などもご覧になれます。しかも無料。鉄道好きには夢のような話ですね。乗りものにはうるさい私も、微力ながらこのコンテンツの充実に協力して参ります。

…で、そのコーナーの行き着く先がどうなるか、終着駅はどこになるのか、そのへんは分かりません。先日の会議で私がそう話したら、女性スタッフが「ミステリートレインですね」とつぶやき、笑いをとっていました。表立って言わないだけで、じつは彼女も秘かな鉄道好きかも知れません。

投稿者 近野宏明


#80  詐称

(2006/10/11)


 

 転職をしたことのない(するつもりのない)私でも、「キャリア」というものをたまに考えることがあります。自分のこれまでの仕事を振り返ったとき、どんな点がアピールできるのか。転職に対するイメージはかつてとは様変わり。日々自分を高く買ってくれるところを模索している方も少なくないのでしょう。私の周囲でも、勤め先が変わった、仕事が変わった、という仲間が増えています。

 企業も人材を外部に求め、積極的に中途採用や人材派遣を受け入れるのが趨勢ですが、いただけないことが起きていました。経歴の詐称です。JR東日本が発注した線路工事などで、資格の無い人物が現場責任者となっていたというもの。JRから工事を元請けした建設会社に要員を派遣した人材派遣業者が、送り込んだ人物の経歴を偽造・詐称していたのです。

 100%の安全を目指すことが当然の鉄道工事。しかし経験の無い、規定を満たしていない人物が管理者をつとめ、あろうことか特急の通過直前に工事用踏切を横切ったのです。このあまりに初歩的なミスをきっかけに、偽造・詐称が明らかになったそうです。利用者や周辺住民に重大な被害をもたらしかねないミス。何か起きていたら誰がどう責任をとっていたんでしょう。しかも偽造はこの1人だけではなく、派遣業者による組織的な経歴詐称の疑いも浮上しています。

 この春にJRの保線作業(安全運行のために線路を維持管理する)を取材しました。かつて国鉄時代には自前の職員を多数抱えていたのですが、民営化の流れの中で外注化がどんどん進んでいることがわかりました。もちろん、高いレベルの安全確保ができれば構いません。しかし発注された先にそんな人員が、そんな派遣業態がまかりとおっているならば、問題としか言いようがありません。

派遣を受ける側が膨大な人員の「キャリア」の実態を見極めるのは、確かに難しい側面もあります。それにしても問題は安全に関わること。国土交通省が再発防止をJRに求めたのは当然でしょう。利用者の一人としても、この問題は注視すべきことと考えます。

投稿者 近野宏明


#79 読了日記 016 『日露戦争に投資した男』

(2006/10/09)


 

・田畑則重 『日露戦争に投資した男』 新潮新書

眠れる獅子・清を破った日本が、次に直面したのがロシアとの関係であった。ロシアは日清戦争の後、三国干渉で俎上にのぼった遼東半島を結局みずから租借し、それに続く出兵で極東での影響力を南へ拡大してきた。
対ロ開戦避けられず。しかし巨額の戦費が必要。のちに蔵相や総理を歴任する高橋是清に、その調達が命じられた。各国の思惑が絡み合い、調達が難航する中、アメリカ有数の銀行家、ジェイコブ・シフ(=ドイツから移民したユダヤ人)が、巨額の日本公債を引き受けた。ようやく戦争の遂行が能うところとなり、薄氷上での勝利をもぎ取った日本。資金面での大功労者であるシフは、戦争終結後、叙勲のため日本に招かれる。本書はシフの前半生と日露戦争へ投資した背景、それに彼の日本滞在記の二本柱で構成される。

本書の見どころは、とにかくシフの手になる日本での日記だ。ときは今からちょうど100年前の1906年。明治末年の日本がどのように彼を迎えたか、記述は往時の風物や情景、人々の態度なども窺え、その点で非常に興味深い。明治天皇との会食は、外国の民間人として初めてのこと。謁見・叙勲の様子とあわせてシフの筆致からも気分が高揚していることがわかる。
公卿や政財界(渋沢栄一、大倉喜八郎、松方正義、大隈重信らそうそうたる顔ぶれ)のトップとの会談、彼らの自宅での食事会のくだりでは、洗練された西洋風の歓迎と、行き届いた子女の教育に驚かされる。当時のエスタブリッシュメントの暮らしぶりは、アメリカ屈指の銀行家をも唸らせるものだったようだ。
またシフはあちこちで披露される伝統芸能にも感動しているし(さすがに長居滞在の終盤には少々飽きたふしも見受けられるが)、同行した妻は各所で日本の伝統的工芸品や骨董に目を輝かせ、しこたま購入している。
 いっぽうで日光や箱根、京都など各地を歩く中で、庶民の生活や祭礼も目にしている。シフ曰く、「これほど規律正しい群衆を見たことがないという点は、みな同感だった」「老人を尊敬する念は深く胸を打つ。数え切れないほどいる路上の子どもたちは、いつも慎み深くはにかみやで、年長者が年少者を注意深く保護、指導する姿を見るのは気持ちのいいものだ」…当時の日本人が外国人にどう映ったか、シフの目を通じた高い評価が伺える。
 
 シフには彼なりのビジネス上の打算もあって公債を引き受けたわけだが、それはそれとして。日露戦争当時の日本には国家の大目標に向けた戦略的、多面的、現実的な活動があったことも興味深い。
 シフの協力をはじめとする資金面の準備、戦争の長期化を避けて勝ちをもぎ取るためのアメリカへの仲介依頼、そしてロシアの帝政を背後から混乱させる諜報・工作活動などなど。その大目標が「戦争」という国家存亡の一大事であり、日本が永久に放棄したことがらであるのは置くとしても、こうした戦略的・体系的な国家運営が100年後の我々にできているのか。昨今の国際情勢をみてもそんなことを考えてしまう。実際、国家の総合力を動員してロシアを何とか破った日本は、その達成を食いつぶすかのように、第2次大戦では無謀ともいえる粗野な戦いに入っていく。この上昇と急降下、国家という組織が病んでいく顛末は『転落の歴史に何を見るか』(齋藤健・ちくま新書)に詳しく分析されている。

投稿者 近野宏明


#78  面疔

(2006/10/06)


 

読めますか?きょうのタイトル。「面疔」です。字面をそのまま読めば当たります。「めんちょう」と読みます。あの、顔にできると痛い腫れ物です。先週の後半から今週はじめにかけて、私の鼻の頂には赤い面疔ができていました。ぷっくりと。まるで『パーマン』のコピーロボットのよう。何人ものひとに「押してみてもいいですか?」と訊ねられました。そのまま画面に出るとハッキリ見えるぐらいの赤さなので、メイクのときにはいつもより厚めにドーランを塗ってもらいました。

そのメイクのさなか。「そういえばメンチョウって、どんな字を書くんだろう」という話になり、電子辞書を持ち歩いていた山本真純キャスターが調べてくれました。その結果が冒頭の2文字。「面疔」です。居合わせたのはこの漢字について考えたことも無かった人ばかりだったので、一同小さな感激に包まれました。…「こんな字を書くのか!」と。「顔=面にできる疔だから、面疔」だそうです。ちなみに「疔」は、菌、とくにブドウ球菌が皮膚の奥深くに侵入して生じる炎症のことで、膿みを生じる、という意味をもつそうです。

「そうか、官公庁の『庁』にやまいだれがつく字ね」「痛みの原因は内部の膿だってことだね」と納得した瞬間、山本キャスターと私の頭にはひらめきました。「庁の字よりも疔と書いた方が相応しい役所がたくさんあるのでは」と。組織が膿んでいるとしか思えない問題の浮上した県庁は「○×県疔」、中央官庁は「△□疔」、という塩梅で。文字一つから次々と連想してしまいました。

鼻のてっぺんの面疔。思いがけぬところにまで考えが巡ったひとときでありました。

*おまけ情報* 
「ドーラン」はドイツ語だそうです。この原稿を書くのについでで調べて初めて知りました。あまりに身近なことばだと、考えることも無いモノで…。さっそく笛吹キャスターに「ドーランって何語か知ってます?」と聞いてしまいました。

投稿者 近野宏明


#77  解体法

(2006/10/04)


 

  朝、駅までてくてくと歩いていると、近所の古いアパートが忽然と消えていました。あっというまの解体です。人の手のようにガブッと掴んで、バリバリッと引っ張り倒す、例の重機もそこに居ました。この上なくプリミティブな方法ですね。でも木造の建物だけに、解体は呆気ないものです。

  先日、滅多に目にすることのない解体を目撃しました。ガスタンクです。かつては住宅街も含めてあちこちにその球体が在って、家並みの向こうにヌーッと丸い姿を見せていたものです。西新宿のパークハイアットも、かつてはガスタンクがあったそうで。気付くとだいぶ減っている気がします(代替施設はどうしているんでしょう?)。つまりそれだけ解体されているわけですね。

  私が見たタンクの解体方法は、球体の最上部にあたる部分から、一枚一枚剥がしていくというもの。特段ウラ技というわけではありませんが、きれいな球体の表面が欠けていくさまは幾分シュールに見えます。そして至極当然ですが、中身は空っぽ。上半分が無くなり、地球で言う赤道部分にある外枠が下半分を支えるようすは、巨大なフィンガーボウルのよう。数日のうちに、みるみるタンクのかたちは無くなりました。

  昨今の東京はどこかで超高層ビルがにょきにょきと伸びています。山下達郎の古い歌詞にありました、もうすぐ空へ届くことになりそうなタワーが、です。日本テレビの上層階から見回すと…。品川駅から浜松町駅にかけての海側、お台場をはじめとする湾岸、豊洲や東雲のような比較的早い時期の埋め立て地などは、日々スカイラインが変わっている感もあります。私のような建築好きの興味は尽きないのですが、解けない謎も残っています。

  日本初の超高層ビル「霞ヶ関ビル」が上棟してから間もなく40年。いまや東京だけでも霞ヶ関ビルを見下ろすビルは50を超えるそうです(日本テレビ本社屋も)。どれぐらいの耐用年数が想定されているのか、将来解体するときにはどうするのか。私はそちらにも関心があるのです。しかし、ネットで調べる限りではなかなか詳細な情報が見つかりません。(ひょっとしたら解体を前提としないものなのかもしれません)。天を目指して伸ばしていく建築方法に関しては、たくさんの情報が集まるのですけれど…。人の営為ゆえ、いつかは「その時」が来ると思うのですが。超高層ビルの解体法、じつに気になります。

投稿者 近野宏明


#76  下半期

(2006/10/02)


 

 放送局にとっては4月と10月は重要な月です。4月を年度初めとする企業も同様かと思います。しかし「新商品が続々登場する月」、とお客様も期待をされている点で、ちょっと特別なのではないかと思います。今週から、というかきょうから、「下半期」に突入しました。我らが『リアルタイム』は、スポーツ担当のアナウンサーが田中毅君から右松健太君に交代します。すでに『リアルタイム』には何度か田中アナの代打で登場しています。もちろん本人の漲るやる気も十分。何ら心配の無い交代と言えましょう。楽しみです。『リアルタイム』はスタートから6か月、お陰様で一丸となって毎日がんばっております。あたたかい励ましやお叱りの声も頂戴しながら、よりよい番組を目指して下半期も邁進していきます。

 NNN全体を通じて、この10月の最大のニュースは?…何と言っても夜のニュースが新番組に切り替わること。『NEWS ZERO』がいよいよ今夜から始まります。何しろ『きょうの出来事』が52年間も続いた番組ですから、そのインターバルとしては空前の新番組ですね。何しろ「ゼロ」にかえって始める番組です。同じ報道局の一員としても、どんな一歩をゼロから踏み出すのか、興味津々。今夜10時54分から。ぜひご覧下さい。

 と、大きな話をしたあとに恐縮ですが、翻って私は。仕事の面を除いて、この6か月で最も変わったことはというと、体重です(それにしても小さい話題だ…)。5月から6月にかけて集中的にダイエット。お陰様で恐怖のリバウンドの兆しは見えておりません。むしろ最近は「やせすぎ」とのご指摘も。体重はその後そんなに減っていないのですが、「夏やつれ」みたいなものでしょうか。明らかに以前と違うのは「炭水化物」の摂取が減少したこと。おかずを食べているうちにおなかが一杯になり、ごはんを食べないまま食事が終わることが増えました。以前は、お酒の席でも最終的におむすびやお茶漬けなど、ごはんものを食べないことには終わらなかったのですが。だいいち胃袋が小さくなっています。
 ま、これも一時のことのような気がします。2006年度の下半期はどうなることやら。

投稿者 近野宏明