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    <title>世界のミカタ　ヨーロッパ編</title>
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    <updated>2008-10-29T00:33:28Z</updated>
    
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    <title>義眼から流れた涙</title>
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    <published>2008-05-27T20:42:01Z</published>
    <updated>2008-10-29T00:33:28Z</updated>
    
    <summary>「独立の重み、わかりますか？」 コソボの同僚に、そう聞かれました。 それは、騒が...</summary>
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        <name>桂　知子</name>
        
    </author>
            <category term="パリ" />
    
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        <![CDATA[「<strong>独立の重み</strong>、わかりますか？」

コソボの同僚に、そう聞かれました。
それは、騒がしい音楽と人々の叫びがあふれる中でのことでした。ことし2月。
「<strong>旧ユーゴスラビアの最後のパズル</strong>」とも言われるコソボ独立が宣言された夜でした。プリシュティナの街は<strong>喜びの渦</strong>の中にあり、堂々と「NEWBORN」という看板が飾られるなど、かつてと様子は一変していました。
<img alt="2008 new born !!.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20new%20born%20%21%21.jpg" />

コソボ取材を切望してきた「きっかけ」ともいえる一家に出会ったのは、８年半ほど前でした。当時入社2年目の私は、1人でカメラを手に石川県・金沢の病院に少年と家族に会いに行きました。  コソボ紛争でガンの目を治療できなかったアルバニア系の少年が、現地を訪れた<strong>日本人</strong>の上田<strong>医師</strong>(AMDA)に救われて来日していました。

少年の名前はネジール君。そしてお父さんとお母さんの３人家族は、当時、治療を受けながら優しい金沢の人々に支えられていました。時に見せる表情には不安、そして遠い祖国を思う気持ちが伝わってきました。ネジール君はほとんど泣かず、まるで「ナゼ自分が日本に居るのか」理解をしていたかのようでした。傍らには心配そうな「お母さん」の姿がありました。お母さんは毎晩、息子の隣で小さくなって眠り、朝になると窓からこもれる朝日を見て、祈りをささげていました。「息子の目が治りますように」と・・・。異国で祈るその姿は、<strong>万国共通の母の強さ。</strong>、胸が熱くなったのを覚えています。

以来、「いつか来る」と見守ってきたタイミングで、家族と再会できたのは、「<strong>独立の日付</strong>」が見えたときでした。欧州、アメリカ、国連でと、舞台を何度も移しながら、何度も話し合われてきた「独立のための環境づくり」。「いよいよ」との情報をもとに、私はロンドンからパリへの引っ越しを終えた足で、現地へと飛びました。

ようやくコソボに着いた日、車で数時間かけて着いた民家で迎えてくれた彼らの第一声は日本語で、「こんにちは」でした。

「本当に良く来てくれました」と涙ながらに話すお母さん、そしてお父さん。
そして機材を全部持って家の中に我々を招き入れようとするネジール君。
一家は、変わっていませんでした。

<img alt="2008 nejir house.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20nejir%20house.jpg" /><img alt="2008 kosovo nejir and me.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20kosovo%20nejir%20and%20me.jpg" />

彼らは、８年前のものを見せてくれました。紙きれ、パンフレット、電車の切符。病院を巡回していた「ヤクルトのおばさん」にもらったという袋、折り鶴、絵本。ぬいぐるみ、名刺、地図。・・・・・全てが大切に保管されていました。家族にとっては「宝物」。一家の様子を見ていて、<strong>「日本の人に受けた優しさ」の重さ</strong>を感じました。・・・・・恥ずかしながら、海外赴任3年目で、とても大事なものを思い出した気がしました。

しかし。

「<strong>独立までにかかった時間</strong>」の分、日本で治療した義眼は小さくなっていました。<strong>義眼は成長期の少年には小さくなっていたのです。</strong>ネジール君の学校を訪問しました。ネジール君は大変な人気者でした。どこを歩いていても必ず友人が寄ってきます。友人らは「誰かが困っていたら必ず助けてくれる」、と話していました。

（<em>お母さんは、「<strong>日本の人たちのおかげです</strong>。日本の人たちに助けてもらったから、感謝の気持ちが植えつけられているのです」と話しました</em>。）

<img alt="2008 nejir in school 5.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20nejir%20in%20school%205.jpg" />
<img alt="2008 nejir school kids 2.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20nejir%20school%20kids%202.jpg" />

そのネジール君が、絶対にしない遊びがありました。
それはサッカー。<img alt="2008 nejir school physics2.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20nejir%20school%20physics2.jpg" />

サッカーは世界中で大人気、コソボも例外ではありません。しかしサッカーをすると、ネジール君の「小さくなった義眼」は、はずみで取れてしまうかもしれないのです。子供ながらに学友には教えていない「義眼」。　　　
<strong>特別扱いされたくない、という子供の気持ち</strong>がありました。

そんなネジール君の状態を専門的立場から見守ってきたのが、ガズメント医師です。<img alt="2008 dr gazmend office 4-2.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20dr%20gazmend%20office%204-2.JPG" />
金沢大学病院でネジール君が退院する前から研修を受け、そしてコソボに帰ってからも治療を続けている医師です。
<img alt="2008 dr gazmend office3 2.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20dr%20gazmend%20office3%202.JPG"/hspace="10"><img alt="2008 dr gazmend office mokuroku.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20dr%20gazmend%20office%20mokuroku.jpg" />
日本で譲り受けた機械を見せてもらいました。それは８年以上経っても、まるで新品のように大事に使われていました。「この機械で救った患者は数知れません。<strong>もっと救わなければいけない</strong>。メンテナンスは徹底しています」と話してくれました。

～そして独立～

独立の瞬間とは、想像を超えたものでした。

コソボの議会で「平和な国をつくる」と独立宣言され、建物の外に走り出た私は、町が一変したのに驚きました。

<strong>かつて、犠牲者の写真しか目立たなかった通りに、埋め尽くさんばかりの人びとが居ました。</strong>・・・・歩くのもやっとの状態でした。
中継のために走った先の「グランドホテル」。
そこは、かつて紛争で様々な舞台となっていたホテル、そこが喜びに沸く人たちで埋まっていました。<strong>あふれる声、喜び、エネルギー</strong>。
住民の大半が「信じられない」と抱き合っていました。それは独立が「本当なんだ」とまるで自分達に言い聞かせているかのような光景でした。

コソボの外にいる家族に喜びを伝える人たちの電話が飛び交い、我々の電話回線もダウン。
中継も１５分以上遅れる混乱（カオス）。（←後日、番組デスクの「寿命が縮まった」とのこと・・）。
しかし、混乱の中で「本当に独立したんだ」、と「音の大きさ」で実感したのを覚えています。

～～
そのあと、ネジール一家を訪ねました。
<img alt="2008 it was not just a piece of cake.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20it%20was%20not%20just%20a%20piece%20of%20cake.jpg" />
運転をしてくれたのは地元の同僚。
道端で市民にふるまわれた「独立のケーキ」、それを家族のために大事に車のトランクに保管したまま、彼は「この喜びをぜひ世界に伝えて欲しい」と車を片道4時間走らせてくれました。・・・本当ならば「二度とない瞬間」を、大事な家族と過ごしたかったはずです。
<strong>２０代３０代の若者達は多くが「虐殺で親しい人たちを亡くした」犠牲者でもありました</strong>。若い彼らこそ、歴史を鮮やかに覚えているというのが、アルバニア系住民・セルビア系住民双方に多く居るのが「事実」です。

さて。
<img alt="2008 prizren view.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20prizren%20view.jpg" />

独立を迎えたあと、一家は「踊り狂った」ようです。
そして深夜、お父さんと友人らは切々と語ってくれました。

<strong>「バルカンを分かるか」</strong>と。

何度も取材で聞いた言葉です。
それは、幾重にも民族や宗教が交差してきた場所での「生きる感覚」でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コソボは、セルビア正教にとっては宗教上大事な場所であり、またアルバニア系住民にとっては安住したくて住み着いた場所。そこに紛争が重なり、泥沼化。さらに当時のミロシェビッチ大統領によって行われたアルバニア系住民の虐殺に対して国際社会は非難。そしてNATO軍の空爆。
ユーゴ内でセルビア、モンテネグロ、クロアチアと独立していきましたが、コソボはセルビアの中にありながら国際統治下に置かれてきました。「セルビアの中での独立」は、行き場を無くしたアルバニア系住民にとっては悲願なものの、ロシアやセルビアにとっては許されないものでした。

実際、独立後、セルビアでは米大使館が放火される場面や催涙ガスに遭遇、警察に囲まれたり、声高く「コソボはセルビアだ」とする集会を多く見ました。

＜写真は走り去る若者と遭遇した、ベオグラードの米大使館前＞
<img alt="2008 us embassy.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20us%20embassy.jpg"/> 
＜そして、ベオグラードでの集会。「コソボはセルビアのものだ」の垂れ幕＞
<img alt="2008 kosovo is serbia.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20kosovo%20is%20serbia.jpg" />

セルビアでは多くのエネルギーを感じました。ナショナリズム高揚、そしてそれを上回る「やりきれない」という空気・・・・・・.
独立の数日後、かつての大統領・ミロセビッチ氏の墓は人を避けるかのように、ありました。

・・・・・・・・・・

独立については、「もう待てない」というのがコソボの立場でした。
独立前に単独取材に応じたセイディウ<strong>大統領</strong>は穏やかな表情のまま、「長い歴史から歩みだしたい。独立を妨げることは誰にも出来ない」と強い口調で話していました。
またＵＮＭＩＫ（国連）の面々も口を揃え「今、動き出さないと、<strong>さらなる紛争を招く</strong>」と話しました。さもなければ・・・と殺し合いの続いてきた歴史の重さを聞きました。

そうして欧米の支援をもとにようやく迎えたコソボ独立でした。
その夜、「独立式典の花火」が映し出されたＴＶの前で、亡くした家族、友人の写真を抱えている人たちがアルバニア・セルビア双方に、多く居ました。

・・・・・・・・・・

独立の重みに加えて、感じたこと。
それは遠い国での日本の存在でもありました。

コソボのネジール君一家は、「私達は日本の人に支えてもらいました。あそこまで親切な人々はあまり居ません。落ち込んでいるときは商店街に買い物をしに連れて行ってくれ、図書館で本を読んでくれました。そんな心遣いに、どう恩返ししたらいいものか。息子も救ってくれました」と話していました。そんな気持ちがうまく伝わっていければ救いです。

そういえば我々は毎回、首都から片道４時間かけて一家を訪れました。
何も言っていないのに家庭料理をつくって待ってくれていました。家庭料理は、異国で心に染みました。
<img alt="2008 nejir family after independence2.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20nejir%20family%20after%20independence2.JPG" /hspace="10"><img alt="2008 cooking.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20cooking.jpg" />
<img alt="2008 nejir dinner.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20nejir%20dinner.jpg" /hspace="10"><img alt="2008 nejir father.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20nejir%20father.jpg" />

私も御礼日本食をつくりました。集めてきた材料は・・・・コメとしょうゆ、野菜にツナ缶。そこからチャーハン、ツナ入りオニギリという子供向けメニューと、卵焼きナスのお浸し、をつくりました。喜んで食べてくれました。
<img alt="2008 nejir and onigiri.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20nejir%20and%20onigiri.jpg" />

///////////////

再会した日、ある場所へと連れて行ってくれました。歩きながら、モスク（イスラム教）も教会（セルビア正教）も見える町で、いろいろなことを感じました。

「アルバニアのハンバーグを、ぜひ食べてもらいたい」と言われ、お父さんに店に連れて行かれました。イスラム教だというのもありますが、御礼をしたい人にはとことん御礼がしたい、というのがありました。「これは受け取ってください。それが我々の喜びでもあるんです」「こんな再会は普通、できないのだからそれを味わってください、また味わららせてください」、とのことでした。

最後の会計で、せめて分割しようとする私に、お父さんは「いいんです。本当に。私達が救われた命、それに比べたら、いくら支払っても足らないのですから」と繰り返しました。しかし「それは出来ない、どうしたらいいものか」と考えていると、ガズメント医師が私に「<strong>心は受け取ってください</strong>。でも別の形で返しましょう」と言いました。

そして。「今日、改めて感動しました。未来のために投資することを許してもらいたい」と話し、涙目で紙幣を差し出しました。「これは食事へのお礼では無く。ネジールの<strong>将来へのプレゼント</strong>です。」と。そして医師は「ネジール、何か欲しいものはあるのか？」という質問を投げかけました。

すると。ネジール君はしばらく黙り、「・・・出来れば、パソコンが欲しい。もし出来ればです。みんな持っているから」と口を開きました。父親の収入を気にして、絶対に今までは言うことのなかった言葉。その言葉が出たと同時に、ネジール君の目からは涙がこぼれ落ちました。「有難うございます・・」と泣いていました。手術でも滅多に泣かなかった少年が見せた涙。それは「義眼」からも流れていました。

///////////////////////

紛争は残酷で、解決できない問題が多くあります。
セルビア系住民の地域、そしてセルビアで取材していて、実に多くの事を感じました。
彼らの怒り、絶望。

実際、ネジール君と同じ年の子供をセルビア側でも取材しました。
「近寄るんじゃない」とのオーラをふりまいていた彼等に会ったのは、女性が叫ぶ集会でした。
彼らの大人びた顔つきは、忘れられません。
<img alt="2008 lady in mitrovica.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2008%20lady%20in%20mitrovica.jpg" />

目の前で知り合いが殺された場面を語った若者が「<strong>大事なことは過去ではなく、未来です</strong>」と話していました。

<strong>ネジール君の義眼から流れた涙も、希望であってほしい、と願います</strong>。

<strong>冒頭の質問。
私は、、こう答えました。</strong>

「独立した国に生まれ育った私が、分かるというのはオコガマシイと思う。きっと、独立の重みは分かろうと思っても貴方達ほど分かることはできない。でも一生懸命、感じたことは伝えたいとおもう」と。・・・・・水で乾杯しながら「いったい今の日本に何が伝えられるのだろうか」、伝えられなかった幾つかの事への悔しさと共に、大きな課題を感じました。

今も課題がコソボでは「山積み」です。
独立の重み。「人」を通して見えたもの、それは日本にとって計り知れない、遠い話・・・なのかもしれません。しかし、<strong>遠いからこそ伝えたい。。。。。</strong>と思ってきました。

コソボ独立の際にコソボとセルビア、双方で見たものは、<strong>現実の中に生きようとする希望の力だ</strong>と今も強く感じています。
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    <title>海峡を越え</title>
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    <published>2008-02-10T09:26:11Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:04:22Z</updated>
    
    <summary> このたび海峡を渡り、ロンドン支局からパリ支局に異動しました。 あまりロンドンに...</summary>
    <author>
        <name>桂　知子</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
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        <![CDATA[<img alt="2007 london queen garden party 021.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%20queen%20garden%20party%20021.jpg" />

このたび海峡を渡り、ロンドン支局からパリ支局に異動しました。
あまりロンドンに留まることがなかったものの、あらゆる場面で<strong>イギリスの底力</strong>を実感しました。官民問わない<strong>実行力、情報力、外報力、政策力、人の歴史</strong>、そしてそこから・・・第３の選択にみえて、自己利益のためにベストな選択をできてしまう強かさがありました。

ところで。

イギリスといえば欠かせない話題である<strong>英王室の空気</strong>、にも触れてみたいとおもいます。

写真は、<strong>去年５月</strong>に出席させてもらった女王主催のお茶会（ＱＵＥＥＮ’Ｓ　ＧＡＲＤＥＮ　ＰＡＲＴＹ）です。皆、帽子を被る正装で現われるのですが、私は日本から持ってきた母の着物を着て、出かけました。

場所は、バッキンガム宮殿。宮殿の中を通り、裏庭にでると、そこには湖や森が広がります。
そこで行われるお茶会。出席するのは主に英チャリティー関係者や医療関係者、法律関係者、などです。

紅茶を手に会話に花を咲かせる・・・・・<strong>まさにアフタヌーンティー</strong>、人脈作りの場です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうして大勢の人をひきつける・・・英王室の「力」について書いてみます；

その人気は・・・・イギリス人が飽きたといいつつも、タブロイド紙に載れば皆が釘付けになるように・・・顕在です。日本ではダイアナ元皇太子妃のことが最もよく知られていますが、彼女の没後１０年にあたり、取材した際にも「人間らしさ」を感じることができました。

例えば、チャールズ皇太子は「<strong>田園好き</strong>」、ダイアナさんは「<strong>都会好き</strong>」という方向性の違い。２人があまりに違った事柄のひとつ、とされます。美味しいビスケットで知られる皇太子のブランドがありますが、その牧場を訪れた際、貴重な豚の繁殖現場を見せてもらいました。その丁寧な姿勢に農業への特別な思い入れを感じました。同時に、ダイアナさんが愛した服、遊びも見ることがありました。そこからさらに積極的に人々と同じ目線になって、自分の役割を果たそうと動いた、その熱意も彼女が手がけた事業を通じて感じました。別れていった２人ですが、孤独な部分もあったとされる彼女が、人のためにと動いていった背景・・・・それは突き詰めれば愛情に飢えていたのではないか、と言われるゆえんも、感じました。裁判などで実に様々な情報が今も出続けていますが、その<strong>人間らしい姿</strong>こそが、どこかイギリスの人にとっての王室との距離感なのだと思いました。

ウィリアム王子そして恋人ケートさん、あるいはヘンリー王子やチェルシーさん、彼らも皆、気さくでそして自然体です。ケートさんについてはパパラッチ報道の前から取材をしていて、異常なマスコミの熱気を感じました。ケートさんやヘンリー王子については、「おしゃれになった」、「こんな風にマスコミを撃退した」などで騒がれますが、２人とも、その「人間臭さ」がイギリス人に愛される所以だと感じます。

<img alt="2007 london queen garden party 010.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%20queen%20garden%20party%20010.jpg" />

<img alt="2007 london queen garden party 011.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%20queen%20garden%20party%20011.jpg" />


さて。


お茶会で、途中から登場したのは、エリザベス女王。
一斉に皆が道を開けます。
毎度ながら、<strong>ニコリともせず、毅然としながらも必ずバックを手に持って歩く　</strong>姿には、品格と同時に可愛らしさを感じさせます。

そして、このとき私が感動したのは、またその人間らしい振る舞いでした。

お茶会では、お付きの人が適当に選んだ人たちが、女王と話す機会を与えられます。
たまたま目についた人と言いながらも、ボーイスカウト、インド系の官僚など人選は全体のバランスを考えて選ばれています。

女王は会う時まで、全く話す相手の素性を知りません。
お付きの人は２分前に本人から聞いた名前と職業だけを、簡単に女王に紹介した後は、会話に全く感知しません。つまり「<strong>放任状態！</strong>」なわけです。

が、女王は、あらゆる会話で対応していきます。<strong>その会話の引き出しの多さには、ため息が出ました。</strong>
しかしふと近くに居て、気がついたことがあります。

相手によって<strong>わかりやすいほど</strong><strong>、話す時間がバラバラ</strong>、そして表情が違うのです。
例えば同年代の女性と話すときは長く、そして柔らかい表情、でも気の合わない相手には、すぐにカバンを持ち換えるなどして、さっと立ち去る・・・あっさりと会話を終えているのでした・・。

失礼ながら、「ああ、人間臭いな」と大いに感じました。

会話をした人たちからは
「こちらの仕事をよく把握していました」
「気さくに自分の体験談を話してくれ、びっくりしました」
「恐くなかったよ、自分の祖母みたいな接し方をしてくれた」
「肌が美しくてびっくりしたわ！」などの反応が。

<strong>自然な立ち振る舞い</strong>が、多くの人を魅了しているのでした。

という、優雅な時間・・・も稀にあったロンドン時代ですが、それだけでは物足りないものです。


下の写真で質問です。

<strong>Ｑこれはいったい？？？</strong>

答えはまた今度。


<img alt="Image012.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/Image012.jpg" />

<img alt="Image009.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/Image009.jpg" />
<img alt="Image014.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/Image014.jpg" />

<strong>海峡、国境を越えればまた違う世界があります。</strong>

人の苦しみ、喜び、目の前の現実・・・・・・それを、ぐっと味わいながら日本に届けられれば。そして願わくば、見た人の選択肢を広げられるような手法で、・・・伝えていければと思います。
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    <title>ブット元首相、イギリスでの評判</title>
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    <published>2007-12-26T18:11:09Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:05:21Z</updated>
    
    <summary>先ごろ、ロンドンで開かれたある会合。 英国駐在の外交官同士が、 こんなひそひそ話...</summary>
    <author>
        <name>伊佐治　健</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[先ごろ、ロンドンで開かれたある会合。
英国駐在の外交官同士が、
こんなひそひそ話をしていたそうだ。

「ブットが帰国して大騒ぎだね」
「彼女か？あんなコラプト（腐敗）なのはいないぞ」

イギリスで話題のベナジル・ブット氏（５４）。
パキスタン初の女性首相で、ことし、８年ぶりの帰国を果たした。

<img alt="ブログ　ブット１.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_isaji/071227/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%80%80%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%88%EF%BC%91.jpg" />

「BB（ビービ）」の愛称もある華やかなキャラ。
亡命生活中も、ロンドンを拠点に幅広い交流があったが、
良くない評判も聞く。
もともと汚職を問われて祖国を去り、
スイスではマネー・ロンダリング罪に問われる身。
金銭スキャンダルの臭いが消えないのだ。

帰国のその晩に起きた自爆テロでは
１４０人の尊い命が失われた。
パキスタン政府は、暗殺の危険を再三警告し、
ヘリコプターをすすめていたが、
ブット氏は聞き入れず、地上の練り歩きを強行、
最悪の結果を誘発した。

<img alt="パキスタンヘリ.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_isaji/071227/%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%AA.jpg" align=”right”/>

批判を受けたブット氏は
「待っていてくれた国民の前に
姿を見せない訳にはいかなった」と弁明。
現場で取材した私も、
もしブット氏が姿を見せなかったら
群衆の不満が治安部隊との衝突に
発展した可能性はあったと思う。

でもブット氏が、
市民をテロに巻き込む危険を承知で、
「凱旋帰国の演出」を優先したとも見える。
病院に犠牲者を訪ねたのも、どこか白々しい。

政治家は往々にして、表向きと実像が食い違う。
ブット氏のように派手で
大衆に人気があるタイプほど、
人物面の評価が低い例は多い。

しかし実像がどうあれ、
メディアを通じて大衆に訴える力は、
民主化闘争を仕掛けるのに何よりの素質だ。
ブット氏の場合はさらに、
海外の目を引き付けて民主化を後押しさせる
「広告塔」の役割も自認しているかに見える。

帰国の背景にはそもそも
ポピュラーなブット氏を利用して
不人気のムシャラフ政権にテコ入れしたい
アメリカ・イギリスの思惑がある。
欧米PR会社も一枚噛んだ巧みな広報戦略。
実際、英国スカイニュースは、
外報部長以下特別班で臨む異例の扱いだった。
「なぜ、今ブットなのか？」
の疑問への答えも見えてくる。

日本の政治を取材していた私には、
小泉元総理が田中真紀子氏を味方につけて
自民党を崖っぷちから救った構図とも
重なって見える。

<img alt="ブログ　パキスタン.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_isaji/071227/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%80%80%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3.jpg" />

核兵器とテロリストを同時に抱えた
パキスタンの政局は、アメリカと、
サウジなど周辺諸国の思惑もぶつかり、複雑だ。
ブット氏を評価するにも
ひとつの物差しでは計れない
苦々しいリアリズムに満ちている。
]]>
        
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    <title>スペインの風</title>
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    <published>2007-10-30T17:55:01Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:05:55Z</updated>
    
    <summary> 振り返れば６月のドイツのサミットの話です。環境問題も主なテーマであったものの、...</summary>
    <author>
        <name>桂　知子</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[<img alt="2007 april spain 041.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20april%20spain%20041.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 april spain 038.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20april%20spain%20038.jpg" />

振り返れば６月のドイツのサミットの話です。環境問題も主なテーマであったものの、実際の作業は各国の利益や方法をめぐり難航を極めたようです。欧州にいる身としてはナゼ欧州では環境への意識がここまで進んでいるのかに興味を持ちました。そして環境対策とは何なのか、どうしたらいいのか目に見える形で何かできないかを考えました。そこで出かけたのが、４月、スペインです。
<img alt="2007 april spain 026.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20april%20spain%20026.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 april spain 067.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20april%20spain%20067.jpg" />


「ドンキホーテのふるさと」スペイン。昔から風力を利用していた国です。

そこの「ＥＵモデル地区」ナバラを目指しました。

ここは自治政府があることもあり、独立した動きを見せています。
街の中にはバイオエネルギーを利用したバスが全体の４割。
研究所も充実していました。
地熱、太陽熱、ゴミ利用熱、風力、バイオエネルギーを研究し利用する様子を取材しました。
（数回に分けて放送しました）

「環境に優しいエネルギー」を利用するためには、その地域の特性を把握することがまず一番です。
スペインらしくオレンジなども利用すべく研究がすすんでいました。
また太陽、そして風もあります。

ですが「さすがだ」とおもったのは、風力発電機の下で穀物が育てられていた点です。
ほか、そこで自然に生えた植物の中にも、香辛料を発見。
スペインの風は、いい香りがしました。
<img alt="2007 april spain 048.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20april%20spain%20048.jpg" />

「共存」のためには地元の理解が必須ですが、それは政府の柔軟な方針があって実現するものだと思いました。・・・・将来、ほとんどの電力を再生可能な自然エネルギーでまかなえる、というこの地域。
話を聞いていて、「住民と企業を一緒に巻き込んだ積極的な政策」が原点だとも感じました。。
<img alt="2007 april spain 036.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20april%20spain%20036.jpg" />

さて。

取材の裏側を書いてみます。

各国によって取材の仕方は異なり、毎回驚きます。
スペインでは現地の人たちの陽気で熱心な姿に、文化を感じました。

撮影はハードで
夜まで取材したあと、次の取材場所への移動は車で７時間ありました。
着くのはだいたい朝です。

その間、気づいたこと：
①どんなに遅くなっても決して夕飯は抜かない。～深夜１時から高速でのレストランで食事をしました。
②とにかく陽気。～いつも楽しんでくれます。

そしてフラメンコの話になると止まりません。

深夜２時、移動中の車内の質問。
「フラメンコ歌手トマトの子供達のグループ名をあててみて」と聞かれました。
何だと思いますか？

答えは・・「ケチャップ」。

ずっと裏話で盛り上がっていました。
こんなお茶目なスタッフに、撮影中また機転を見せられました。

それは「ドライブショット」と呼ばれる「移動映像」を撮っていたときのことです。

カメラマン兼ドライバーという１人２役を大体、お願いしているので、
撮影中は私が運転をしようと思ったら・・・・車はマニュアルの車。
オートマ限定という私にとっては厳しい・・ことに。
そして助手のスペイン人の男子学生は免許がないと言い・・。

どうしようかとカメラを構える準備をしていたら、なんと！カメラマンが警察に電話をし出しました。

警察官らは、ミニパトカーで到着。
なんでも、「この人達に運転してもらうのさ！」とのこと。

そこに、このデコボコなコンビが乗り込み、警察の運転する車で撮影をしてきてくれました。
思い切り笑って到着。
<img alt="2007 april spain 032.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20april%20spain%20032.jpg" />

撮影はハードでも、楽しく進みました。
スペインを知ってもらうためには苦労をいとわない。
取材対象者はもちろん、カメラマンらを通しても、その姿勢に欧州で吹く「スペインの風」を感じました。

最後に。
途中、こんなものも発見しました！
スペインから、来年のサミット開催国でもある日本へ、風が何か吹くことになればと願っています。
<img alt="2007 april spain 029.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20april%20spain%20029.jpg" />







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    <title>決戦持ち越し！ブラウンVSキャメロン</title>
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    <published>2007-10-07T19:25:59Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:06:22Z</updated>
    
    <summary>「おや、今年はちょっと違うな」 ９月末、港町ボーンマスで開かれた 年に一度のイギ...</summary>
    <author>
        <name>伊佐治　健</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[「おや、今年はちょっと違うな」

９月末、港町ボーンマスで開かれた
年に一度のイギリス労働党大会。
ブラウン政権になって「何か」が変わっている。
だがその正体はすぐにはつかめない。

前のブレア政権下では、去年も一昨年も、
会場に到着すると決まって何かこう、
「すさんだような」空気を感じた。
警備は異常なまでに厳重。
スタッフもピリピリしていて取材対応もすこぶる悪かった。
首相のスピーチを
会場の外のモニターで聴かされた事さえあった。

だが、今年はスタッフも少し柔軟だ。
外国メディアの場内取材チケットは限られていて、
日本の分は自動的にNHKに回っていたのだが、
担当者に懇願するとNNNも直前に入場を許された。

ブラウン首相が登場すると場内は総立ちで拍手。
生真面目路線が功を奏し
労働党の支持率を劇的回復に導いて今や救世主扱い、
解散総選挙前倒しの観測さえ出て
求心力が猛烈に高まっていた。

さてその演説は予想通り、
ジョークの一つもない堅物路線に終始。
内容は教育、医療、犯罪対策といった国内問題ばかりで
前任者のように華々しく外交を語ることもなく、
世界をリードする野心はうかがえない。

スピン＝情報操作がお得意と批判されたブレア時代との決別。
それこそ、イラク戦争で失った大衆の信頼を
とり戻すテコとなっているのだ。

「いやいや本当はブラウンこそスピンの天才だ―」

保守党影の文化相、ジェレミー・ハントが
うんざりしたように批判していたのを思い出す。
「ブレアは見るからにパフォーマンス好きだが、
ブラウンは演技を演技と悟らせないで真面目に見せてるのがすごい」

タイムズ紙の政治部長も
「ブラウンはプライベートでは短気で近寄りがたいが、
テレビでは違うイメージを作ってる」と語っていた。

事実ならウワサどおりの相当な戦略家である。
党大会の空気が違って感じたのは、マスコミも含めて
彼のイメージ戦略の魔法にかけられていただけなのかも知れない。

その日は奇しくも日本の福田新政権の発足前夜。
「カリスマ性はないが政策通」「身内に厳しく秘密主義」
とのブラウン首相の評判は、
福田首相とも微妙にダブるのは興味深いが・・。

<img alt="ブログ用ブラウン.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E7%94%A8%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3.jpg" />

そして、翌週の今月３日。
ブラウン効果に打つ手がなく、
もはやこれまでとも言われていた
野党保守党の若手党首、デビッド・キャメロンが
逆転のカウンターパンチを放った。

政治生命さえかかった党大会のスピーチを、
原稿なしで熱弁すること１時間。
衰えぬ政権担当意欲が大衆の心を動かしたか
ガーディアン紙の世論調査で保守党の支持率は
労働党と同率の３８パーセントまで回復。
劇的ともいえる復活だった。

マスコミがブラウン一色だった時、
ロンドン経済大の専門家が言っていた。
「キャメロンが今あえて黙っているのは、
スピーチのインパクトを押し上げる作戦だ」
その通りになった。

結局、６日、
ブラウン首相は早期の解散総選挙を否定。
支持率の拮抗を受け、ギャンブルは避けた格好だ。

狡知の限りを尽くした二大政党の対決は、
来年以降に持ち越された。
キャメロン演説に先立って
保守党が打ち出した相続税減税政策が、
ブラウンのイラク段階的撤退本格化等のアナウンス効果を
上回ったとも指摘される。

前政権時代の悪名高き「スピン」は
敬遠されるかにも見えた英国政界。
だが、見えざる精緻なメディア戦略が
幾重にも張り巡らされ、
なおマスコミを翻弄しているように見える。











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    </content>
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    <title>変化のしるし（法廷のカツラ）</title>
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    <published>2007-07-24T17:42:19Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:06:43Z</updated>
    
    <summary>田舎町に物々しい警備がありました。そこはイギリス・ブレア首相（当時）の地元セッジ...</summary>
    <author>
        <name>桂　知子</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[田舎町に物々しい警備がありました。そこはイギリス・ブレア首相（当時）の地元セッジフィールドのトリムドン村。
<img alt="2007 may 004.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20may%20004.jpg" />
ロンドンから４時間強。
まっすぐの道をひたすら走った先にある集会所前には英メディアが数社、中継車を構えています。
支持者に話を聞きながら、私も待ちました。観衆が声をあげる中、ブレア氏が到着。
・・・・正直、そこまでは、イギリス人に囲まれているのに「＊＊県」にいるのでは？との錯覚を持つような、日本の政治の風景と変わらないものを感じていました。

しかし。

ブレア氏は演説を終えると観衆にしっかりとアピール、そして投げキスをして会場を去りました。
うう～む。
反発もある中での退任にもかかわらず、「最後の去り方」、その演出の「力」を肌で感じる場面でした。

さて。

６月２７日、イギリスで１０年ぶりに首相が変わりブラウン政権が誕生しました。

<img alt="2007 london july 003.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%20july%20003.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 london july 008.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%20july%20008.jpg" />

ブラウン首相は、フラッシュの中、緊張した面もちで首相官邸ダウニング街１０番の邸宅に入りました。


じわじわと変化が起きています。


ひとつは<strong>司法制度</strong>。

そんな中、BARRISTER（法廷弁護士）協会の会長が、弁護士らが集う伝統あるパブで語ってくれました。

<img alt="2007 london july 055.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%20july%20055.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 london july 056.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%20july%20056.jpg" />

「ブレア政権では後半、現場との相談が欠けた感じがする」と。

→例えば；MINISTRY　OF　JUSTICE　という全く新しい省庁が今年５月に誕生しています。
　HOME　OFFICE（内務省）から独立したものですが、「時期」について反対意見がありました。
　政権移行前という中途半端な時期ゆえに業務が中途半端になったとの批判もあります。

だからこそ・・・・・「<strong>ブラウン政権には期待する</strong>」と言うのです。

<strong>緻密な相談</strong>があるからこそ、改革を歓迎できる・・との弁護士の声も聞かれました。

<img alt="2007 london 0710 027.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20027.jpg" />

「司法制度改革で日本も思い切ったことをしているね」と声をかけられますが、イギリスも同様に、大きな変化があるのだと感じました。

なぜこれだけの改革を？と聞いてみると「変化が好きな時代だから」との一言。
「<strong>目に見える変化」をしたいものだと</strong>、説明してくれました。

ということで、三権分立のための改革、立法の仕方のバリエーションなど、改革案が練られています。

しかし、古き伝統も、改革されなければ、目に見えるとは言えません。

そうして出てきたのが「<strong>カツラ</strong>」です。
<img alt="2007 london 0710 030.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20030.jpg" />

イギリスの裁判所の法廷ではカツラが被られています。私も実際に傍聴して見てみると、驚きました。
<img alt="2007 london 0710 016.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20016.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 london 0710 017.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20017.jpg" />

今では映画や絵画でしか見ないと思っていたら大間違い。
１３世紀からある！という法律事務所が並ぶ古い通りを歩いていると、・・・・カツラを被った不思議な出で立ちの人たちが歩いています。
<img alt="2007 london 0710 032.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20032.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 london 0710 025.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20025.jpg" />

古くはフランスから輸入された文化ですが、イギリスらしく今も伝統を残しているのです。

「しかし。これに意味があるのか？」という疑問が当然ありました。
・・・・ということで、４年前から議論されてきたものの、イラク戦争で中断されていました。

それが、とうとう廃止の方向が固まった、との情報を聞きました。来年１月から廃止されるとのこと。
そこで本社に電話をし「桂です。カツラが無くなるって話をやろうと思っています」という、通じにくい連絡を入れました。

そして知り合いに電話をし、カツラを見せてもらいたいと御願いし、備えました。

<img alt="2007 london 0710 024.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20024.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 london 0710 033.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20033.jpg" />

快く応じてくれたのはローゼン弁護士。国際紛争などを手がけています。

綺麗な箱からカツラを取り出してくれました。
もう３０年も使っているといいます。

<img alt="2007 london 0710 036.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20036.jpg" />

美しい艶のあるカツラ・・・馬の毛だとか！

<img alt="2007 london 0710 026.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20026.jpg" />
当時で３５０ポンドだといいます。（対円が１ポンド２５０円となっているため約９万円！）
<img alt="2007 london 0710 018.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20018.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 london 0710 019.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20019.jpg" />

氏の感想；
「<strong>暑くてね</strong>～あと長くつけていると頭が痛くなるんだよ」

なるほど！

そして。

「国際的な、ビジネスの法廷ではふざけた印象を与えるのも事実だ」と言います。

たしかに。

景気のよいロンドンではビジネスの話が多くなっているだろうから、「不都合だ」と感じるのは当然です。

私も被ってみました。

正直、暑かったし、チクチクしました。夏なら汗をかいて、かぶれると思いました。
<img alt="2007 london 0710 020.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20020.jpg" />


カツラ屋を訪ねてみると・・・実に綺麗にカツラが並べられていました。法廷弁護士のもの、裁判官のもの、などそれぞれ特徴があります。高いものでは４０万、５０万のものもありました。
<img alt="2007 london 0710 028.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20028.jpg" />

カツラ屋いわく「全て手仕事なのだから当然の値段だ」とのこと。
カツラを眺めていて、法廷弁護士に憧れる若い人にとっては、<strong>職業の象徴</strong>ともいえるものなのではないか、とも思いました。

そうして文化は残ってきたのかもしれません。カツラがファッションだとされた時代から２００年余り。今も残しているのがイギリスらしい。
もっとも、ここで現実的意見も付随してくるのもイギリスらしいのです。

「残した方がいい」「カツラは武器なのだ」との意見が聞かれました。

いったい何だろう？・・・・と思う方、下の写真を見てみてください。↓

複雑なそして凶悪な事件が多くなるにつれ、カツラは大いに<strong>個人の特徴を隠す</strong>のです。

<strong>テロの裁判も多くなり</strong>、今では返ってこれが有効となっていたわけです。

確かに・・髪の毛だけで人の印象はだいぶ違います・・。
<img alt="2007 london 0710 023.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20023.jpg" />
<img alt="2007 london 0710 021.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20london%200710%20021.jpg" />

若い法廷弁護士にとっては若く見えない、という「年齢」さえ隠す効果もあるとか。
・・・・・・ということで、民事法廷でのみ廃止し、刑事法廷では残ることになりました。

だからこれからもロンドンの法律事務所街や、裁判所で見ることが出来ます。

しかしこの「カツラ」・・・・新政権になり、風通しをよくする「<strong>変化のしるし</strong>」では、と感じました。

これからどんな変化が見られるのか、楽しみです。
]]>
        
    </content>
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    <title>「産むための選択」代理母制度</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/2007/07/post_36.html" />
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    <published>2007-07-11T13:39:18Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:07:03Z</updated>
    
    <summary>去年秋から今年の春にかけて英国の「代理母制度」を取材しました。英国では９０年以降...</summary>
    <author>
        <name>桂　知子</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[去年秋から今年の春にかけて英国の「代理母制度」を取材しました。英国では９０年以降、手続きさえすれば、代理出産で生まれた子供を「実子」とすることが認められています。

いきなりですが、代理出産で産まれた子供を見たことありますか？

ということで、訪ねました。
<img alt="2007 surrogacy 001.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20001.jpg" />
こちらはオリバー君とアリスちゃん、１５歳の双子です。
（年齢が、いかに前から制度があるかを物語っています）
<img alt="2007 surrogacy 003.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20003.jpg" />
「母は１人で混乱はないんだよね」「生まれてよかったです」の言葉に、どっきりしました。
高校に通う彼らは、授業で代理出産についてプレゼンテーションをしたりしているそうです。


いったいどんな思いで他の女性に出産を依頼するのか。

母親リンダさんは、長い不妊治療の末～AT　THE　END　OF　THE　DAY～という表現で、
最後の手段として、「切実な思いで」選んだことを強調しました。

<img alt="2007 surrogacy 002.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20002.jpg" />

養子をすればいいと言われたこともあるが、やっぱり自分の子供が欲しいという自然な思いだったといいます。

「でも。こうした制度は長いこと闘った末にこの国で実現しました、運動は動かなければ始まりません」、そうリンダさんが話したことも印象的でした。

そして。

「とにかく代理出産で肝心なのは、<strong>代理母との信頼関係だ</strong>」とのこと。

<img alt="2007 surrogacy 007.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20007.jpg" />

過去の例では、１０か月もお腹の中に居た子供を手放したくないと気持ちの変わる代理母も居て裁判になったりしています。・・・・いくら進んでいるとはいえ、産んだ女性が最初の段階で、母親であることには争いはありません。

出産後に手続きをするわけですが、それは当人同士の信頼関係でやるもの。法的義務はないため、余計に２人の間の関係が大事なのです。
<img alt="2007 surrogacy 006.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20006.jpg" />
リンダさんは、友人関係を続ける努力をしたといいます。

彼女が話した言葉の重みは、代理出産を支援する団体の会合に通うと、さらに実感できました。
そこには多くの女性が集まっていました。
（中には男性の姿もあり、家族単位で行動する風景に日本との違いもちょっと感じました）

<img alt="2007 surrogacy 010.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20010.jpg" /hspace="10"><img alt="2007 surrogacy 009.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20009.jpg" />


中に、涙ぐむ女性が居ました。彼女は、「代理母」の側でした。
<img alt="2007 surrogacy 014.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20014.jpg" />

妊娠したわけでもないのに、代理出産をするためには薬を飲んだりして、体調が悪いのだといいます。

さらに、「困っている旦那の親戚に依頼されたから断れなかった」、「でも旦那は複雑な表情をする」・・・そう話し、いかに大変な作業かを語ってくれました。

他にも「人生で自分の出産より遥かに大変だった」という人も居ました。

英国の代理出産制度は進んでいるといわれていますが、それでも多くの問題点や悩みを抱えていると感じました。

<img alt="2007 surrogacy 013.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20013.jpg" />

１）依頼する側と依頼される側の間に法的拘束力はなくトラブルになる可能性が残っていること
２）補助制度が整っていない　　　など・・・まだ不備があります。

また、アメリカと違って「商業主義」を禁止しているからこそ、
「必要経費」以外は負担しなくてよいとされていますが、
逆に；
３）情報が不足し社会の認識も低い、との声も聞かれました。

これらに対応するため、新しい法案づくりを検討したい、と専門家や法律家らからは話していました。

まだまだ少数派である家族のことを考える「懐の広さ」を感じました。

こうしたことは日本では、まだまだ先のことかもしれません。法律や制度も違います。

ただ、代理出産で生まれた子供、代理母、依頼した母、の３者の「笑顔」を見て感じたこと；
<img alt="2007 surrogacy 011 2.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/2007%20surrogacy%20011%202.JPG" />
それは素朴に同じ女性として、「選択肢」があるのはいいことではないか、ということでした。

英国もこれからまた変わろうとしています。
日本でも検討されていくといいなと・・思います。
向井さんのケースでの「最高裁決定」、その文面に込められた思いを見ても、改めて思いました。
]]>
        
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    <title>私は中身で勝負する～英国ブラウン新時代へ</title>
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    <published>2007-07-01T07:08:33Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:07:23Z</updated>
    
    <summary>英国首相官邸、６月２７日午後０時１５分。 あと１時間と少しで首相はトニー・ブレア...</summary>
    <author>
        <name>伊佐治　健</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[英国首相官邸、６月２７日午後０時１５分。

あと１時間と少しで首相はトニー・ブレアではなくなる。
いつものゲートからダウニング街に入ろうとすると警官に止められた。
特派員証を示し「取材だから」と説明しても
「ダメ、ロックアウト！」
隣を見るとチャンネル４の名物キャスター、
ジョン・スノーまで同じ憂き目にあっているから仕方ない。
首相が戻ってくるまでゲートは開けないつもりのようだ。

その頃、議会下院ではブレアが最後の党首討論に臨んでいた。
「･･･皆さんお元気で。これで終わり。ジ・エンド」
さらりと締めくくったブレア。
労働党のメンバーがいっせいに立ち上がり拍手。
保守党党首のデビッド・キャメロンも、一瞬迷いを見せたが
「仕方ない、俺たちもやろうぜ！」とばかりに立ち上がった。
与野党が恩讐を超えスタンディングオベイで見送る様子は
素直に感動を覚えるシーンだった。

午後１時１５分、
議会から首相官邸に戻っていたブレアが
家族と共にナンバーテンのドアを開けて出てきた。いよいよお別れだ。
「あなた方と会えなくなっても別に寂しくないわ！」と
茶目っ気たっぷりで毒舌を吐く夫人に取材者たちも苦笑い。

その時、報道陣の背後から金切り声が響き渡った。
「トニー！私たちの前で謝罪して！」
イラクで命を落としたイギリス軍兵士の家族らである。
許可を得て制限区域内に入っていた。
ブレアはちらりと見やることもなく首相車に乗り込む。
ゲートを出れば反戦団体のプラカードが待っている。

大量破壊兵器が見つからなかったことで国民を欺いた形になったブレア。
メディアを通じた国民との近さが魅力だった彼にとって
言葉が信用されなくなったことは致命的だった。

ブレア時代に影を落とすもう一つの問題は、
上院議員推薦に絡む労働党への不正融資疑惑
“キャッシュ・フォー・オナー”である。
この日、官邸前を通りすがった
スコットランド国民党の下院議員アンガス・マクニールは怒っていた。
「おい、さっきのアプローズ（拍手）をどう思った？おかしいと思わないかい？」
この疑惑をロンドン警視庁に告発した張本人である野党の爆弾男は、
ブレアに拍手はふさわしくないと怒っているのだ。
実は先週、ブレアが現職首相として３度目の
事情聴取を受けていたことは後から明らかになった。

「ショーマン」「アクター」
皮肉も込めてそのメディアテクニシャンぶりを評されるトニー・ブレア。
北アイルランド和平、サミット温暖化合意、
幾多の実績が退任の花道を飾る一方で、
きれい事ばかりではすまない宿命も抱える。

官邸を出た首相車はバッキンガム宮殿に向かった。
ブレア劇場の最後の幕は、罵声と怒号の中に閉じた。

<img alt="ブラウンキャメロン.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_isaji/070701/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3.jpg" />

午後３時。
官邸前には新首相ゴードン・ブラウン（５６）の野太い声が
スピーカーを通じて響いていた。
「新しい政府には新しい政策の重点がある」
ブレア流との決別を表明する。
過剰とも批判されたスピン＝情報操作。
イラク戦争の傷跡に苦しむイギリス国民の間には
ブレア時代への疲れと嫌気が漂う。

英国経済拡大の立役者を演じた重量級首相の誕生。
対するはメディア戦略も巧みな弱冠４０歳の若手党首。

イギリスは新たな時代に入った。


PS　そんなブラウン政権を同時テロが襲った。
イラクの日常をイギリスに持ち込もうというのか？]]>
        
    </content>
</entry>
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    <title>深刻化するパレスチナ人同士の衝突　前編</title>
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    <published>2007-05-17T21:18:56Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:08:33Z</updated>
    
    <summary>深刻化するパレスチナ人同士の衝突　2人の指導者直接取材から思うこと　　 ■衝突は...</summary>
    <author>
        <name>谷生　俊治</name>
        
    </author>
            <category term="カイロ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[<u><strong>深刻化するパレスチナ人同士の衝突　2人の指導者直接取材から思うこと　　</strong></u>
■衝突はパレスチナ人同士
パレスチナ自治区・ガザ地区での流血が止まらない。
血を流しているのは、パレスチナ人。
だが今回は、イスラエルによる攻撃でパレスチナ人が死亡する、
といういつもの構図ではない。

<u>衝突しているのは、パレスチナ人同士</u>だ。

イスラエル建国によって土地を追われてから60年近く、
これまで占領された地域の返還と「独立国家パレスチナ」を目指し、
闘ってきたはずのパレスチナ人同士がなぜ争うのか。

今回このブログでは、衝突しあう<strong>2つの組織の指導者を直接取材した際の印象を紹介</strong>しつつ、
中東から遠い日本人には理解しがたい状況をできるだけわかりやすくお伝えしたい。

■「ファタハ」と「ハマス」
衝突しているのは、パレスチナの２つの組織「ファタハ」と「ハマス」。

この両者による内部抗争は今回が初めてではない。
ハマスが単独政権を運営していた去年秋から衝突は先鋭化していた。

しかし、パレスチナ人同士による内部抗争という最悪の事態に終止符を打つため、
サウジアラビアの仲介で今年2月、<u>イスラム教の聖地メッカで統一政権樹立に合意</u>。
これが一定の成果をもたらし、最近まで衝突は小康状態にあった。

統一政権では、治安権限を握る内務相に独立系のカワスミ氏が就任、
<u>ハマスとファタハの治安部隊を再編し、秩序の回復に集中する部隊の創設を目指していた</u>。

しかし、カワスミ氏は何の仕事も出来ないことを理由に14日辞任した。
カワスミ氏は辞任会見で、
「数々の障壁にあたり、私には何の実権もなかった」として、
<strong>ファタハとハマスの双方を非難</strong>していた。

■そして、内部抗争は再燃した
独立系のカワスミ氏が内務相を辞任したことで、
ハマス・ファタハの衝突が激化することが懸念されていたが、
まさにその通りの展開となった。

ガザ各地で衝突を繰り返し、14日からの双方の死者は40人近くに上っている。

問題の本質は、ファタハ・ハマスの双方が独自の治安部隊を持ち、
それぞれ増強を図っていることだ。

アッバス議長率いるファタハは、アメリカから支援を受けて武器を調達、
ハマス治安部隊の急速な勢力伸張に対抗しようとした。
ハマス側はこれに大きく反発、ファタハの治安部隊との再編を拒み、
独自に部隊の増強を図ってきた。

<strong>治安権限を巡る主導権争</strong><strong>い</strong>の結果、
パレスチナ人同士が争う最悪の展開となった、というのが今回の事態である。

<img alt="2006年2月ハニヤ首相と ブログ用ミニファイル.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_tanio/070517/2006%E5%B9%B42%E6%9C%88%E3%83%8F%E3%83%8B%E3%83%A4%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%A8%20%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E7%94%A8%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB.JPG" />
<em><u><u>2006年2月ガザ市内のハニヤ首相の自宅にて</u></u></em> 



■「ハマス」率いるハニヤ首相
イスラム原理主義組織・ハマスを率いるのは、
統一政権で首相も勤める<strong>イスマイル・ハニヤ氏</strong>だ。

私はハマスがパレスチナ自治区の選挙で勝利し、
ハマス単独政権が誕生する目前の去年2月、
ガザ市の難民キャンプにある自宅でハニヤ氏に取材した。

約束の午後12時半に自宅を訪問すると、
門番の一人が「来客があって対応できない」という。
それでもあきらめずに4時間以上待ち続けた結果、
来客を見送るために家から出てきたハニヤ氏に直接呼びかけることができた。

アポがあること、4時間以上待ったので10分でいいので時間をくれないかと交渉すると、
10分だけならという条件で単独インタビューが実現した。

■ハニヤ氏の印象
がっしりとした大柄な体格のハニヤ氏は極めて実直な性格の人物だった。
待たせたことを私に詫び、本当に時間がないので、10分を守って欲しいと言った。

通訳を通じて質問したが、答えるときには私の目をまっすぐに見据え、朴訥と語った。

インタビューの中で、ある印象的なやりとりがあった。
2000年から始まった第二次インティファーダ（パレスチナ人による対イスラエル武装蜂起）は
パレスチナにとって利益をもたらさなかったのでは、とした上で質問をしようとしたときだった。

私の質問を遮り、「インティファーダは多くのことをもたらした。」と強い口調で反論し、
ガザからイスラエルを追い出すなどの大きな成果をだしたという彼らの主張を延々と繰り返した。

<strong>非常にまじめで自らの信念には常に忠実、
妥協は認めないというハニヤ氏の性格</strong>を垣間見た気がした。

・・・・・つづく

■
続きは、ファタハのアッバス議長を取材した際の話を中心にお伝えする。
]]>
        
    </content>
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    <title>北の国から＊その弐</title>
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    <published>2007-04-03T16:19:00Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:08:47Z</updated>
    
    <summary>グリーンランドでの撮影話、そして発見について触れたいと思います。 デンマーク統治...</summary>
    <author>
        <name>桂　知子</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[グリーンランドでの撮影話、そして発見について触れたいと思います。

デンマーク統治領とはいえ、世界最大の島とも言われ独自の文化を持つグリーンランド。

そこでは驚いたことに、多くのアジア系の顔を多く見かけました。
古くは大陸が繋がっていた時に渡ってきた人たちだとか。
現地の言葉を英語で通訳してくれたミナも、まるで日本人のような・・？
<img alt="2007 march  greenland the two  shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/2007%20march%20%20greenland%20the%20two%20%20shukushou.JPG" />

取材をした漁師たちも、親しみを覚える顔つき。
「中国系、インド系、タイ系と色んな顔が居る、その混在ぶりは独特だ」と言う人も居ました。
中には自分の父親そっくりの人も居て驚きました。
<img alt="ojisan shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/ojisan%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="zubon shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/zubon%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="ajia kei  shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/ajia%20kei%20%20shukushou.JPG" />



（写真注：彼らが着ているのはシロクマの毛皮です。とても大事に使われていました）



撮影の大半は犬ぞりに乗って行われました。下は氷、走るには車は重すぎるし、平らではありません。
・・・ということでお世話になりました。

といっても、決して言いなりにはならない犬たち。

走っていると、トイレはもちろん、他の犬たちに絡んだりケンカしたり。時には群れを離れて、違う方向に暴走します。とにかく、やんちゃでした。

<img alt="inuzori shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/inuzori%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="sori shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/sori%20shukushou.JPG" />


だからなのか・・・２時間、走っては・・・・<strong>すぐに休憩</strong>・寝ていました。人間同様、大事な術です。
<img alt="neru inu shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/neru%20inu%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="neru inu shukushou 2.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/neru%20inu%20shukushou%202.JPG" />

しかし・・・犬ぞりは過酷です。　
山を滑り降りるのが好きな私も、スピードは遅くても、ブレーキの無い犬ぞりとなると、違った驚きがありました。およそ１０時間、氷の上をガタガタと音を立てながら、進みました。

・・・時には協議を重ねながら。

<img alt="uchiawase  shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/uchiawase%20%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="kotaka shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/kotaka%20shukushou.JPG" />

ロンドン支局のサイモンＢ・カメラマン、古高史子助手もアザラシの毛皮の服を借り、取材しました。
剣道に合気道と、武術で鍛えられた「侍」のような忍耐力を持つ２人。
吹雪にもなった滑走中、口や手は凍っていたので、日頃のあうんの呼吸がいきた形でした。

<img alt="kanzenbusou shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/kanzenbusou%20shukushou.JPG" />


そうしてたどり着いた漁場。

行われていたのは意外な漁の方法でした。

ザクザクと氷に切りこみ、開けた穴から、１メートルもある<strong>「オヒョウ」</strong>をつり上げていました。HALIBUTと呼ばれる魚、これは欧州でも人気のある魚です。日本にも多く輸出しているとか。

その魚を、その場で切って刺し身にして食べたり、周りの天然冷凍庫に保存していました。
そうして、また数十メートルもの糸をたらして・・・翌日また釣り上げる・・・というのが彼らの漁の仕方。

漁場では魚の骨も大事に料理していました。
寒いので、食糧は無駄にできないとのこと。

<img alt="2007 march  greenland fish sabaku shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/2007%20march%20%20greenland%20fish%20sabaku%20shukushou.JPG" />

そりを牽引していた犬たちも、この新鮮な魚を、食事にしていました。


旅の途中、小屋に一泊しました。
電気も水道ももちろんありません。が、十分な場所でした。

灯りは発電。石油ストーブを炊いて料理をすれば、一気に体が解凍される気がしました。

<img alt="ryouri shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/ryouri%20shukushou.JPG" />

そして、こちらは氷を火にかけています。
<strong>天然の氷河</strong>。
まさに「究極の天然水」です。

<img alt="ice shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/ice%20shukushou.JPG" />


ところで！

取材で何よりも大事なカメラ。


実は平らではない場所を移動中、漁師がカメラに着地！壊れてしまいました。

が、そのカメラを・・あっという間に、巧みに直してくれました。

しかもこれが非常に「<strong>頑丈</strong>」！

いまだに壊れていません。

<img alt="2007 march  greenland 038.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/2007%20march%20%20greenland%20038.jpg" /hspace"10"><img alt="2007 march  greenland 037 camera shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/2007%20march%20%20greenland%20037%20camera%20shukushou.JPG" />

現地の言葉と英語。言葉は通じなくても、色々と身ぶり手ぶりの会話で通じた気がします。

・・・そうして夜がふけると、皆、あっという間に眠りにつきました。

<img alt="yofuke shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/yofuke%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="neru ryoushi shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/neru%20ryoushi%20shukushou.JPG" />


あの犬たちはどうしているか？と気になり・・・・翌朝見ると、こちらも丸くなっていました。

<img alt="2007 march  greenland marukunarune shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/2007%20march%20%20greenland%20marukunarune%20shukushou.JPG" /hspace="10"><img alt="2007 march  greenland marukunaru shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/2007%20march%20%20greenland%20marukunaru%20shukushou.JPG" />

寒い中、いかに体力を温存するか？

これは、自然と身につけた「リズム」だと思いました。



<strong>生活アイデア</strong>といえば・・・！

グリーンランドに到着して、我々が最初に見たものは、こちらでした；

<img alt="sekaiichino sori shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/sekaiichino%20sori%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="sekaiichino sori shukushou2.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/sekaiichino%20sori%20shukushou2.JPG" />


何か分かりますか？これは「世界最長のそり」だそう。
みんなで、ギネスの世界記録を目指したとか。。。

「どうせなら世界最長のそりで滑ってみたくてね」と地元の人たちは楽しそうに話してくれました。
かなり盛り上がったとか！

<img alt="ojisan byebye shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070402/ojisan%20byebye%20shukushou.JPG" />

色々な人が移住しているグリーンランド。

彼らが丁寧に語ってくれたグリーンランドへの愛は、どこか我々日本人が見失いがちな自然な感情のような気もしました。]]>
        
    </content>
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    <title>北極圏＊北の国から＊その壱</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/2007/04/post_30.html" />
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    <published>2007-04-01T23:12:33Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:09:02Z</updated>
    
    <summary>本当に氷は溶けているのだろうか？ この“単純な質問”を心に、地球温暖化の影響を取...</summary>
    <author>
        <name>桂　知子</name>
        
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            <category term="ロンドン" />
    
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        <![CDATA[本当に氷は溶けているのだろうか？
この“単純な質問”を心に、地球温暖化の影響を取材しにグリーンランドを訪れました。やはりテレビで伝えたいと思ったのです。ロンドンから飛行機で数時間の距離。ですが、北極圏とあって気温マイナス３５度まで下がるくらい寒さは厳しかった・・。

<img alt="2007 march  greenland ice  shukushou 48.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20ice%20%20shukushou%2048.JPG" /hspace="10"><img alt="2007 march  greenland 008 shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20008%20shukushou.JPG" />

着くと・・・白銀の世界の中に色とりどりの屋根が浮かんでいて、洗濯物も干されていました。しっかりとここで生活が営まれていることを感じました。

<img alt="2007 march  greenland 011 shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20011%20shukushou.JPG" /hspace="10"><img alt="2007 march  greenland 024 colorful shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20024%20colorful%20shukushou.JPG" />

漁師らと野山を約１０時間、駆けめぐっての印象；

<img alt="2007 march  greenland 142 shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20142%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="2007 march  greenland dog sled049 shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20dog%20sled049%20shukushou.JPG" />

それは、変化の激しい国だというものでした。「氷の寿命」というものはあるものの、氷は確実に薄くなっていました。世界最大の島とも言われるグリーンランド、その変化の意味の大きさを実感しました。
<img alt="2007 march  greenland ice shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20ice%20shukushou.JPG" />

影響は深刻です。かつて犬ぞりで走っていた場所を、今は船が行き交っていました。そうして風景が変わるのをこの１０年、見てきたと、多くの人が話してくれました。
観光協会でつくる地図も実際変わっていました。かつてハイキング出来なかったところが出来るまでになっていたのです。

こちらは漁の模様；
<img alt="2007 march  greenland fishing shukushou desu.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20fishing%20shukushou%20desu.JPG" />

氷に穴を開けて魚を獲ることを続けている漁師たちは、氷が溶けた為に、かつて漁が出来た場所へ行けないと嘆いていました。

こう見えて・・・魚の大きさも変わったのだといいます：
<img alt="2007 march  greenland fish shukushou 061.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20fish%20shukushou%20061.JPG" /hspace"10"><img alt="2007 march  greenland fishu shukushou kore.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20fishu%20shukushou%20kore.JPG" />


さらに発電所の責任者が言うには；氷が溶け水の量が増えたため、これを使うためにグリーンランドは「水力発電所を増加させている」というのです。

温暖化は二酸化炭素の増加が理由なのか?・・・これは仮説に過ぎないと、現在、「ニュースＺＥＲＯ」に出演中の竹内薫氏も言われていますが、科学とはそういうものなのかもしれません。ただ、「確実に暖かくなっている」とグリーンランドの住民は口を揃えて話していたことが心に残りました。

地球温暖化について映画出演そして講演活動をするアル・ゴア元米副大統領に以前、ロンドンで話を聞いたことがあります。なぜ副大統領の時に対策が出来なかったのですか？と。答えは無言。代わりに「これからが大事なのではないか」と答える人が居ました。

現在、いくつもの企業が様々な壁に当たりながら環境問題に取り組んでいます。
そのビジネスは、グリーンバブルとも言われます。

ただ実感が沸かないのも事実です。
だからこそ、実感の沸きにくい状態を、実感できるように・・したいものです。

３月一杯でリアルタイムを卒業した、潜水士・「山本真純キャスター」とは水中風景を伝えていました。三宅島の海底噴火や生物、そしてサイパン海底に眠る戦争遺跡など。天候で中断する雰囲気の中、あえて潜ったバンザイクリフ。クルーには鬼だといわれたのですが、かつて万歳と言って飛び込んでいた「その崖」の下に差す水中の一筋の光・・・という光景を撮影できたとき、一同、その映像の「重み」について意見が一致しました。

<img alt="2007 march  greenland filimg123 shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20filimg123%20shukushou.JPG" /hspace"10"><img alt="2007 march  greenland shuzaifukei shukushou.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20march%20%20greenland%20shuzaifukei%20shukushou.JPG" />

・・テレビの記者として少しでも考えるきっかけをつくっていけたら、と改めて思います。
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    <title>オペラ座で歌舞伎</title>
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    <published>2007-03-30T13:22:43Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:09:15Z</updated>
    
    <summary>３月２３日から３０日までパリのオペラ座で歌舞伎が公演されました。 通称“ガルニエ...</summary>
    <author>
        <name>矢島亜希子</name>
        
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            <category term="パリ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[３月２３日から３０日までパリのオペラ座で歌舞伎が公演されました。
通称“ガルニエ”と呼ばれるオペラ座は、１８７５年に完成した歴史ある建物です。
日本人にも人気の観光名所で数多くの彫刻やシャンデリア、シャガールの天井画など
その豪華さで知られています。
「オペラ座の怪人」の舞台にもなった劇場で、バルコニーの５番が指定席だそうです。
そんなオペラ座で、バレエやオペラ以外が上演されることは珍しく、
中でも、歌舞伎は初めて！！の快挙なのです。

<img alt="DSC02425.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_yajima/070330/DSC02425.JPG" /hspace="10"><img alt="DSC03659.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_yajima/070330/DSC03659.JPG" />

演目は、市川家の家の芸である「勧進帳」と「紅葉狩」です。
「勧進帳」では、団十郎さんと海老蔵さんの親子が日替わりで弁慶を演じるダブルキャストが実現。
これは海老蔵さんの希望だそうです。
記者会見で海老蔵さんは「夢のよう、とても勉強になる」と話していました。
私は、取材とプライベートで両者の弁慶を見ました。
「同じ役でも演じる人でこんなに違うんだ～」ということを実感！
どちらがよかったかは・・・ナイショです。

フランス語での口上も行われました。
フランス語というと流れるような響きですが、それが歌舞伎調！？なので、独特の雰囲気です。
でも、よく通じていたようでフランス人からは笑いが起きていました。
中でも亀治郎さんは、小学校から高校までフランス語の授業があったそうで、
とても流暢なフランス語でした。

公演にあわせて、パリ市内で歌舞伎の衣装展も開かれました。
歌舞伎の華やかな着物はフランス人に人気が高く、大勢の人が訪れていました。

<img alt="DSC03607.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_yajima/070330/DSC03607.JPG" hspace="10"/><img alt="DSC03609.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_yajima/070330/DSC03609.JPG" />

着物といえば…、
公演会場のオペラ座にも多くの着物姿の日本人がありました。
中には日本からの「パリ歌舞伎鑑賞○○ツアー」なんてのもあり、
“おっかけ”パワーには驚かされました。
という私も、初鑑賞にしてすっかり歌舞伎に魅了され…、
帰国後は“おっかけ”に仲間入りしているかもしれません。
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    <title>テムズ川のように 英国観察雑感　　</title>
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    <published>2007-03-21T22:27:19Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:09:29Z</updated>
    
    <summary>イギリスでは「傘は持ちましょう」などと言う天気予報は見られません。天気がよく変わ...</summary>
    <author>
        <name>桂　知子</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[イギリスでは「傘は持ちましょう」などと言う天気予報は見られません。天気がよく変わるためか、ロンドンを流れるテムズ川の水かさも毎日、変わります。
<img alt="2007 rush 2.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20rush%202.JPG" />

そのテムズ川の川底には色んな海洋生物が住んでいます。

鯨も居たり、朝の魚市場に並ぶ魚も泳いでいます。

去年初め、「上海蟹」を探しました。「日本での特定外来種指定」を受けて欧州でも増殖する現状を探ろうと思ったためです。雪の降る中、アラブ人カメラマンと、そして「蟹博士」と呼ぶべき英国の国立博物館の研究者と一緒に、テムズ川で上海蟹を探索しました。数時間、探索した末、数匹、発見することができました。

さすが蟹博士だ！と思っていたところ、なんとこの蟹博士が聞いてきました。「本当に上海蟹は食べて美味しいのか？」と。

博士の研究室には１００年以上前のものをはじめ、２～３０種類の上海蟹がホルモン漬けにして置いてあります。が、MITTEN　CRABS　（手袋のようなハサミを持つ蟹）という名前がついた、毛むくじゃらの姿を見ると、どうも食べようという気にはならないのだとか。蟹博士は「きっと上海蟹みたいなのはドイツなど大陸の方から流れてきたに違いない」と話していました。

<strong>テムズ川の川底と同様、イギリスの街中は実に多国籍です。</strong>

インド系、イスラム系だけではなく最近は、東欧の人が増えています。店員も多くが東欧系に。闊歩する女性たちは片言の英語を話す場合が多くなっています。そして彼女たちの元気のよい姿には毎回、驚きます。

ロンドンでの新年を迎えたばかりの地下鉄内。そこにはお酒をボトルごと持った女性があちらこちらに居ました。<img alt="2007 January pic.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/2007%20January%20pic.JPG" />hspace="10"<img alt="wine and tube2.JPG" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_katura/070322/wine%20and%20tube2.JPG" />

写真で女性が片手にボトルを持っているのが分かるでしょうか？彼女はボトルごとワインをラッパ飲み。他にもウォッカをガブ飲みする女性も！２００７年になったばかりの地下鉄の車内は大いに、盛り上がりっていました。

地下鉄の初乗りが約１０００円になったこの日の風景は、まさに景気のよいイギリスをあらわしていると、感じました。


この景気のよい理由のひとつは、混在する<strong>多様さ・そして流動性、そこから湧き上がるエネルギー</strong>にあると感じます。


そして、上海蟹も潜んでいたテムズ川のように、イギリスは様々なものを「飲み込み」、実に巧みに「流れ」の舵取りが行われているのだ、と。

取材は細かい作業の連続ですが、石の裏にいた蟹を見つけるように何かが見つかると嬉しいものです。

国会の横に立つ労働党のジェントルマンクラブにお邪魔した際にも、その「文化」に、テムズ川の川底のように、うごめく世界を感じました。


テムズ川のように、変化が必要なときは一気に変わっていく、この国。

流れを見定め、そして川底をしっかりと見ていくことが出来ればと思っています！



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    <title>落日！ブレアと、キャメロン人気</title>
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    <published>2007-03-16T23:28:45Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:09:53Z</updated>
    
    <summary>髪の分け目が変わっただけで、また大騒ぎ！   英国政界の風雲児、 デビッド・キャ...</summary>
    <author>
        <name>伊佐治　健</name>
        
    </author>
            <category term="ロンドン" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[髪の分け目が変わっただけで、また大騒ぎ！
 
英国政界の風雲児、
デビッド・キャメロンの周辺は常ににぎやかだ。

<img alt="キャメロン分け目新聞.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_isaji/070317/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3%E5%88%86%E3%81%91%E7%9B%AE%E6%96%B0%E8%81%9E.jpg" align=”right”/>

弱冠３９歳で野党保守党のリーダーになって以来、
身内の反発も恐れぬ改革姿勢と
巧みなメディア戦略で話題を独占（小泉前首相と似てる）、
政党支持率でも労働党に勝っている。
 
今週は、
これまで左に流していた髪が突然右向きに変わり、
面白がった大衆紙が憶測を並べる。

「右流しの方が男らしく見えるから」　とか
「政治スタンスの変更を意味する」　といった根拠の薄そうな分析から、
「ハゲが進行してきたのを隠す為」という説得力ある解説も登場し、
BBCのモーニングショーにまでとりあげられる盛況ぶりだ。
 
実のところは
子供を連れて行った先の床屋さんで、
すすめられるがままにヘアカットしただけらしい。

<img alt="画像　キャメロンこれで.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_isaji/070317/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%80%80%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%A7.jpg" align=”right”/>

「次期首相？」ブラウン財務相より、 
野党のキャメロンばかりがここまで注目されるのも、
与党・労働党の目を覆う惨状に一因がある。
 
今週水曜の晩、ブレア内閣が議会に信を問うた
総予算２００億ポンド（５兆円弱）の「核兵器リニューアル計画」。
 
なんと身内の労働党議員９０人以上が　「反対」　。
ライバル保守党の賛成に助けられて
辛くも可決という屈辱的な結果に終わった。
議会周辺に集まった反戦団体からは大歓声。
こんなの日本だったら、　「政局」　だ。
<img alt="画像　プロテスト.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_isaji/070317/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%80%80%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88.jpg" />
 
議決後、造反議員の一人に声をかけてみると
「あるかどうかも分からない未来の脅威にお金を使うのは馬鹿馬鹿しいわ」
とニッコリ微笑んだ。
 
首相もずいぶん軽くみられたものである。

根拠のない大量破壊兵器を理由にイラク戦争に突き進んだ事が、
ブレア時代の幕引きにつながった。
コソボやボスニア紛争への軍事介入から学んだ
タフな外交姿勢が仇になったとの見方もある。

先日会う機会があったイギリスの元外交官は、
「プライム・ミニスターが外交に力を入れすぎると失敗する」
と語っていた。

国民を高揚させて支持率を容易に高められる反面、
リスクも大きいということか。

含蓄ある言葉に思える。
 
 
 
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    <title>壁の崩壊で得したのは？</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/2007/02/post_28.html" />
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    <published>2007-01-31T15:36:40Z</published>
    <updated>2008-07-15T10:10:17Z</updated>
    
    <summary>　1月16日から3日間、ドイツ・ベルリンで電撃的に米朝会談が開かれました。 結局...</summary>
    <author>
        <name>徂徠雅夫</name>
        
    </author>
            <category term="パリ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/">
        <![CDATA[　1月16日から3日間、ドイツ・ベルリンで電撃的に米朝会談が開かれました。
結局2月に再開されることになった6か国協議について、
アメリカのヒル国務次官補と北朝鮮の金外務次官が下交渉を行ったのです。

<img alt="17012007097.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_sorai/070201/17012007097.jpg"align="left" />
<strong>←メディアが詰め掛けた北朝鮮大使館</strong>
　当初は「なぜベルリンでアメリカと北朝鮮が…？」という感が
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　拭えませんでした。
「米朝の外交官が会うのなら普通は北京あたりだろう」と…。
しかし金次官の動静をマークしているうちに、
その理由が分かってきました。

当たり前のことながらベルリンにはアメリカ・北朝鮮とも
立派な大使館を持っているからなのです。
それは東西に分断されていた冷戦時代の名残りでもあります。
かつての西ベルリンとアメリカの結びつき、
東ベルリンと北朝鮮との関係を思い返すと、
統一後のこの街に両国の巨大な大使館が
共存していること自体が何やら奇跡的な気がしてきます。
日本をはじめとして北朝鮮と国交のない国は珍しくありません。

<img alt="21012007105.jpg" src="http://www1.news24.jp/blog/abroad/europe/abroad_sorai/070201/21012007105.jpg"align="left" />
<strong>←世界中の観光客で賑わうブランデンブルク門
　もちろん東西どちらからでも近づける</strong>
　と同時にこんな風にも思いました。
北朝鮮の大使館前で張り込み取材をしていると、
ドイツ製高級車に乗って買い物にでかける
大使館員をよく見かけました。

彼らはもちろん本国でも相当な特権階級に属するのでしょうが、
統一後のドイツという「西側世界」の恩恵を
十分に享受しているように見受けられたのです。
もしかするとベルリンの壁が崩壊して一番喜んでいるのは彼らではないか…と。
統一されたドイツと、今も南北に分断されたままの朝鮮半島。
このいびつな世界の縮図がベルリンの街にありました。
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