PPP(Photographers' Panic in Pakistan)

(2008/01/14)


 

 「ブット元首相暗殺!」この衝撃的なニュースを受け、2007年12月、世界中のメディアがパキスタンに集まった。

 道路でタイヤを燃やして気勢を上げる民衆など、パキスタン中が騒乱状態にあるような映像が世界中に流れた。実はその一方で、喪に服すためと、暴徒による略奪を逃れるため、店のシャッターは閉まり、街はひっそりと静まり返っていた。

 そんな中、首都イスラマバードの官庁街にひときわ大勢の人々が集まる場所があった。街中の暴徒がおおむね鎮圧された後、2008年1月に予定されていた選挙の実施時期に注目が集まった。街に出てもあまり撮るものが無い世界各国のカメラマンたちが、選挙管理委員会の前に集まったのだ。
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 カメラ50台以上、記者も含めると優に100人を超える様々な人種が1箇所に集まる。皆が撮りたいものはひとつ。選挙管理委員会スポークスマンが、「選挙を延期するかどうか」を発表する瞬間だ。

 これだけ沢山のカメラマンが一人の人間を撮ろうとすると、混乱するのは誰の目にも明らか。
普段は我先に取材対象者に殺到することが多いパキスタン人カメラマンが、率先して規制線を決め、ほとんどのカメラマンがそこに並んだ。

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 マイクを差し出す記者が撮影の邪魔にならないように、マイクも束ねられ、整然と撮影する準備は整った。世界各国からメディアが集まる取材で、自主的にマイクが束ねられることは珍しい。これで、スポークスマンの周囲2,3メートルには人が近付かず、皆が安定した映像を撮れる。誰もがこの発表の大切さを理解し、きっちりした映像を自国で放送しようという意気込みが感じられた。

 数時間後、100人を超すメディア関係者が固唾を飲んで待ち続ける中、遂に選挙管理委員会の門が開いた。重大な発表を携えているであろうスポークスマンが、ゆっくりとカメラの放列の前に進み出る。
 規制線に並んだ50人以上のカメラマンが一斉にカメラを構えた。その時!!

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 はい、ざんねーん。大混乱でーす。

 現場に遅れて来たために撮影場所を確保できなかった一部のカメラマンが、規制線を越えてスポークスマンに殺到。規制線の後ろのカメラマンたちは、飛び出したカメラマンたちが邪魔でまったく撮れない。前に立つカメラマンを引きずり倒す記者、それでも撮り続けるカメラマン・・・。さっきまで整然としていた現場は、一瞬にして英語、ウルドゥー語、中国語などの怒号が飛び交う修羅場となってしまった。

 でもこれ、アジアの取材ではよくある風景だ。いくら事前にルールが決まっていても、多くのカメラマンは簡単にその線を越えていく。
 
 私のような小柄な日本人カメラマンにとって、このような修羅場で屈強な外国人カメラマンに対抗するのは大変だ。10kg以上ある業務用カメラを片手で軽々と持ち上げるような人に、正面からぶつかっても絶対に勝ち目はない。取材現場がどう動くのか、先を読んで場所を決めたり、一度取った場所は決して譲らないように根性で足腰を踏ん張ったり、時には卑屈な愛想笑いで同情を誘い、隙間を譲ってもらうこともある。 あの手この手を使って外国人カメラマンに対抗するのも、海外取材で大切な仕事だ。


 ちなみにこの日、この修羅場でスポークスマンが発表したことは、「本日、選挙の延期を決めることを延期しました」という内容だった。ひざから力が抜けてズッコケそうになった。やはり、足腰は大切だ。


日本を飛び出した二つのシンカンセン

(2007/02/22)


 

2007年1月、時を同じくして中国と台湾で日本の「新幹線」が走り始めた。
新幹線技術が海外に輸出されるのは初めてのケースだが、
その舞台が政治的に「対立の火種」を抱える中国と台湾というのは
歴史の皮肉かも知れない。
早速現地入りして列車に乗ってみた感じは、
「あっ新幹線だ!」とすぐに体感できる乗り心地。
日本にいる様な懐かしい気分を味わった。

しかし「シンカンセン」の登場を報じる地元メディアの紙面を見ると
中国と台湾、それぞれに「日本との距離感」の違いが垣間見えて、とても面白い。

台湾新幹線開業.JPG
一足早く開業したのは「台湾新幹線」。
東海道山陽新幹線の「700系のぞみ」をベースにした車体にはオレンジ色のライン。
試験走行でトラブルが相次ぎ、開業が3度も延期されていただけに、
地元紙の紙面からは「高速鉄道がやって来た!」と興奮気味な息遣いが伝わってくる。
記事には新幹線が日本の技術であることが詳しく書かれ、
「シンカンセン」を経済協力の象徴として描く傾向が見受けられた。
その舞台裏には、台湾政府がヨーロッパ各国との契約を覆して
日本側に逆転発注した経緯があり、
日本との結びつきを強めようとする台湾の政治的意図が
読み取れる内容になっている。

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一方の「中国新幹線」は、経済都市・上海を発着する在来線の特急列車として登場した。
ベースは東北新幹線の「はやて」で、「子弾頭(鉄砲玉)」の愛称が地元紙を飾っていた。
ところが紙面には、日本という文字が全くといっていいほど見当たらない。
「シンカンセン」は中国の「国産」という位置づけだ。
中国国内の工場で車両を組み立てているというのが理由だが、
背景に「反日感情」があるとの指摘もある。
今年は日中戦争勃発のきっかけとなった盧溝橋事件から70年という歴史的に敏感な年。
好転に向かっている日中関係を刺激したくないという中国政府の意向が
「日本隠し」に傾いた・・との見方も強い。
いずれにしても日本という文字が一斉に消え、そろって国産を印象付ける紙面からは
メディア統制が行き届いた中国ならではの「お国事情」が見え隠れしている。

難しいことはさておき、どちらの新幹線も「高速列車の旅」を
初体験した乗客たちの評判は上々だった。
中国でも台湾でも今、春節(旧正月)休みで大勢の人たちが利用している。
それぞれの場所で愛される「シンカンセン」になって欲しいと思う。


新婚さんいらっしゃい!

(2006/12/26)


 

先日、上海で開かれたあるイベントの話し。

会場に到着するとそこは中国にはおよそ不似合いなパステルカラーの照明。
ヨーロッパ風の建物には、88組の中国人カップル、およそ180人がテーブルを囲んでいた。
彼らは何と、全員が中国の「新婚さん」。
招待したのは日本の旅行会社で、なんでも日本への「ハネムーン誘致」がイベントの目的なんだそう。
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イベントでは旅行会社の担当者が、東京、京都、北海道、沖縄と次から次へと
熱のこもったピーアールを展開。
そんな担当者の目の前でアツアツの「新婚さん」たちは、
互いに腕を肩に回したり、じっと見つめ合ったり・・・とすでに「別世界」に旅行中といった様子。
旅行会社の担当者曰く・・。

「中国の海外旅行客は人口のまだ1%程だが、1%でも日本の人口の10%以上です!」。

13億人の人口を誇る中国は「最後の市場」という担当者は「新婚さん」に負けず劣らず鼻息が荒い。
特に目立ったのは、「白銀の世界」を売り物にする北海道チーム。
北海道のスキー場は競技人口の減少で、台湾、韓国、東南アジアの観光客で支えられている。
日本への入国者数も中国は、100万人に達した台湾と韓国を猛追し、
今年はアメリカを抜いて80万人に届く勢いだという。

「新婚さん」たちの反応は・・・というと、なかなかの好印象といった感触。
4泊5日で15万円を上回るツアー料金も、それほど負担感を見せている様子はない。
「新しい世代」の富裕層は、着実に増えていることを感じさせた・・。

上海ではいま職業、年収、出身地など条件を限定した「合コン」が花盛りだ。
女性たちは「持ち家、マイカー、・・・」とまさに要求のオンパレード。
好条件の男性をいち早くゲットするため、どの「合コン」も参加者は女性の方が多いのだそうだ。
「海外旅行も出来ない男なんて・・・」、女性たちの間からはそんな声も聞こえてきそうだった。


迷走する・・「台湾新幹線」

(2006/12/10)


 

「台湾新幹線はいつ開業するのだろうか・・・」。

この質問にハッキリと答えられる人はいないかも知れない。
外見は「700系のぞみ」にそっくりな車体、それもそのはずで台湾新幹線は、
日本の新幹線技術を、初めて海外に輸出した記念すべき存在だ。
日本と台湾の友好の象徴となるはずの「台湾新幹線」だが、
開業予定日からすでに1年2ヶ月が過ぎた今も、
まだ正式な開業日が決まらないという異常事態に陥っている。
その理由は、運転士の養成が遅れたり、試験走行中にトラブルが相次いだりと
様々な不幸が重なったことだが、関係者もさすがにイライラが募ってきたのか
現地では「新幹線」のイメージそのものが悪くなっている様子・・。
台湾新幹線2.JPG

ついこの前には、12月7日に予定されていた「開業式典」さえもドタキャンされてしまった。
外国から政治家や財界人にすでに招待状を出していたため、
市民の間からは「台湾の面目は丸つぶれだ・・・」という嘆き節も聞こえてきた。
開業許可の条件は「試験走行で一ヶ月間の無事故」で、
上手くいけば何とかクリスマス前に開業できる計算になる。
推計によると開業が一日遅れるごとに、毎日3億円もの損失を出しているという話しもあり
今や関係者も祈るような気持ちで事態を見守っているという。

「台湾新幹線」は最高速度300キロで走行し、二大都市の台北と高雄間を1時間半程度で結ぶ。
試験走行の列車に乗ってみたが、乗り心地は日本の新幹線そのものでなかなかの快適さ。
ビジネスマンの利便性はとても高いと思われ、新幹線を目玉にしたツアー旅行といった
観光業への収益も期待されている。日本人観光客も「重要なお客さん」だ。
いつ開業するとも知れない新幹線の車内では
運転士や車掌だけでなく、
車内販売のお嬢さんや、掃除のおばさんたちも一生懸命に訓練を重ねている。

無事に開通すれば、
彼女たちが覚えたての日本語で「こんにちは!」と明るく迎えてくれるに違いない。


台湾海峡「要塞の島」に変化

(2006/11/27)


 

島の海岸線には、船の上陸を阻止するためのバリケード。
厳重な有刺鉄線の傍にはこれより先が「地雷原」であることを警告する標識が
あちらこちらに立っていて、思わず足がすくんでしまう。

この島の名前は「金門島」。
金門島海岸2.JPG

実効支配しているのは「台湾」だが中国大陸からの方が遥かに近く、
最短距離で2キロしか離れていない。
1949年に分断された中国と台湾の歴史を語る「生き証人」とも言える島

島には1958年に中国軍が大規模な砲撃を浴びせた爪跡が生々しく残っていた。
また中国のミサイル演習に対し、アメリカが空母を派遣した「台湾海峡危機」は、
今からわずか10年前の出来事にしか過ぎない。
そんな「要塞の島」で起きている大きな変化を目の当たりにした。

5年前に中国と台湾が手探りで始めた「小三通」(通信・通商・通航)。
金門島などの近隣の島を小さな民間交流の窓口にしようとする政策で、
解禁から5年たった今では、中国人のツアー客が島を訪れることも出来るようになった。
観光の許可は、まだ対岸の中国福建省の人々に限られているものの、
海峡を往来する定期船は一時間に一本という便利さで所要時間は、たったの40分。
飛行機ならば、今でも香港を経由するため少なくとも3時間はかかってしまう。

そして大陸から大挙してやって来る中国人観光客は、ホテル、食事、ショッピングで
大金を島に落としていく。お互いを国と認め合わない中国と台湾だが、去年からは島で
「人民元と台湾ドル」が両替え出来るようになった。
さらに今では中国共産党の毛沢東主席(故人)が印刷された「人民元」のままでショッピングを
楽しめる店まで登場している。

「今までは島を守る軍人さんしか客がいなかったが、今では中国人さまさまです」。

これが島民たちの偽らざる「本音」のようだ。
急速な経済成長で海外旅行が出来る豊かさを手に入れた中国人。
「お金を使いたい」という猛烈な欲求が
政治的緊張が続く最前線の島を変えようとしているのかも知れない。


頑張れ受験生!!

(2006/11/17)


 

 今年も韓国で一番熱い(?)日がやってきた。

日本のセンター試験にあたる大修学能力試験の日だ。
国公立、私立問わず、この試験を受けなければならない。今年はおよそ59万人が臨んだ。

 試験日の朝は、受験生への後輩たちのエールで明ける。
太鼓を打ちながら校歌を歌ったり、チョコレートやミカン、温かいお茶を配ったりして、
高校の先輩たちを送り出す。これも目上の人を敬う儒教思想の表れだろうか。

 続いて集合時間の8時10分に近づくと、パトカーなどの緊急車両が目に付くようになる。
遅刻しそうな受験生を試験会場まで送り届けるためで、
警備会社やタクシー会社もボランティアで車を提供している。

 ここまで受験生に手厚いサポートがなされるのは、韓国が今も学歴社会であるから。
「出身大学でその後の人生が決まる」といわれるほどだ。
大学別に2次試験があるものの、ほぼ修学能力試験の出来で合否が決まってしまう。

 それゆえ「送り届けサービス」以外にも、受験生を出勤ラッシュに巻き込まないよう
地下鉄やバスは増便し、役所や一部の企業は出社時間を10時に遅らせる。
英語のヒアリングテストの時間には、飛行機のフライト時間が調節されるほどだ。

 こうしたことから当然、教育熱は高く、進学校がある地域への引っ越しを望む人達で
不動産バブルが起きている。
また、子供を海外に留学させ、有名大学への帰国子女枠での入学を目指す家庭もあるという。
 
この時期が来ると、「ゆとり教育」を進めてきた日本は、韓国に学力で追いつき、
追い越される(追い越された?)のではないかという焦りとともに、
日本以上に激しい「格差社会」が到来していることを実感する。


上海で増える日本の子供たち

(2006/11/08)


 

上海には世界最大の日本人学校がある。
「虹橋校」と今春開校した「浦東校」を合わせた児童生徒数は、2386人に上る(今月1日現在)。
かつて日本総領事館の片隅に開かれた学校は20年の歳月を刻んできた。
お祝いの式典は、晴天に恵まれ11月とは思えない汗ばむ陽気の下で行われた。
大きな声で校歌を熱唱する天真爛漫な子供たち。
我が子をビデオカメラに収めるお父さんたちの姿が微笑ましく見えた。
上海日本人学校の様子.JPG
私が式典で特に印象に残ったのは、「功労者」への表彰式だった。
上海日本人学校には現在、39人の中国人講師や事務員たちが勤務している。
中には勤続15年になるスタッフが2人もいる。
感謝状が贈られたのは、中国語の女性教員。
彼女は子供たちが中国語を習得し易い様に、自分で「教科書」を作ったのだという。
そして、子供たちの送迎を担当するスクールバスの運転手。
彼は「日本人学校の車掌さん」と紹介されて、大きな拍手を浴びていた。
日本人学校の運営は、大勢の地元中国人の力に支えられている。

日中関係は「反日」「嫌中」という言葉で形容されることも多いが、
北京五輪、上海万博というビックイベントを追い風に、日本企業の進出は勢いづいている。
30代を主流とする駐在員は家族とともに生活の場を移し、それが日本人学校に通う
子供たちの増加に拍車を掛けている。
私も30代で家族と一緒に中国に来た。週に3回来てくれる中国人のお手伝いさんは、
外国生活に不慣れな妻を助け、1歳になったばかりの娘を我が子の様に可愛がってくれる。
買い物の時には、大声を張り上げて値切ってくれる頼もしい「お母さん」でもある。
こうした中国体験をした子供たちが、文字通り「架け橋」となって未来の日中関係を
形作って行くのかも知れない。

上海支局も今年、開局10周年を迎えた。5人のスタッフのうち
私以外は全員が中国人だ。
助手の李さんは開局の準備段階からいる「生き字引」の様な存在。
運転手の包さんは控えめな人柄ながら、ここ一番の腕前は「天下一品」である。
カメラマンの王さんは支局に来てから日本語を始めた勉強家で
金正日総書記の激写に成功した「名手」。
紅一点の助手、王さんは一流大学を卒業した「秀才」で日本に行ったことがないのに、
私よりも日本の芸能事情に詳しい。情報収集力は「ピカイチ」である。

上海支局はこんな面々で毎日ともに泣き笑いしながら日本に向けてニュースを発信している。