「今おもうこと」について

(2011/06/17)


 

ある日、デスクのR嬢がやさしく、それでいてゾッとするくらい冷たい声で、
「これ以上更新さぼると、ブログ閉鎖になりますよ」とおっしゃるので我に返ると、
自分でもびっくりするぐらい、というよりどれくらいの間か分からないくらい更新をさぼっていた。
ご無沙汰してます。皆さまお元気でしょうか。イケメンデスク(自称)です。

思えばこの間、色々あった。
色々ありすぎて、いちいちあげつらっていくとちょっとした新書サイズの本が書けちゃうくらいなので、
ここで振り返るのはやめておく。
ただ、自分を取り巻く日本の「あのころ」と「いま」は随分変わった様な気がする。

大きな災害があった。
沢山の尊い命が奪われ、多くの人々が住まいや職業などの生活基盤を失った。
自然の猛威の前に人間の無力さを嫌というくらい思い知らされながらも、
そこから何とか立ち上がろうという日本人の姿に、世界から称賛と尊敬が寄せられた。
多くの心ある人々から励ましや支援が送られ、被災地の「絶望」は、「復興への前進」へと、
ゆっくりだが変わりつつある。
その一方で、自分たちが当たり前のように甘受してきたエネルギーが、今度は逆にその足元の暮らしを奪い、日本の未来に暗い影を落としている。

それまでは自分を含む多くの人々にとって、
当たり前のように今日が過ぎ、当たり前のように明日が来た。
しかし今は違う。
今日という一日をどうしたら暮らせるのか思案し、希望のない明日を迎えなくてはいけない人間が、同じ日本の中にいるということを多くの人々が知っている。

そんな今、「政治は何をしているのか」という声をよく聞く。
もちろん、この震災で家族を喪った議員もいる。
被災地で住民のために足をすり減らす議員がいるのも聞いた。
今国民に広がる不信は、「政治家不信」ではなく「政治不信」なのだ。

でもイケメンデスク(自称)は思うのだ。
「今不信を抱いている政治を選択したのは自分自身だ」ということ。
私たちには選挙で一票を投じる権利がある。
今政治不信の的となっている政権は、思えば「政権交代」というあの熱狂の渦の中から生まれたものではなかっただろうか。
乱暴にいえば、「政治を批判すること」は「我々の選択の誤りを認める」ことだ。
だからこそイケメンデスク(自称)は思うのだ。
この政権が何を成し遂げ、何を失うのか、今こそしっかりと見ておこう。
そしてもしまた選択する時が来たなら、その時の一票は
「未来の日本への信任投票」なんだということを。


・・・いいたいことを言いました。
最後になりましたが、この震災で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

投稿者:イケメンデスク(自称)